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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:フェラーリーに乗っているわたし・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:フェラーリーに乗っているわたし・・・」



(ここから)


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたのアイデンティティーをあなた以外に置かないでください。

アイデンティティーとはあなたそのものなのです。


分かりますか?

あなたがいる限り(あなたがあなたを認識する限り)あなたの

アイデンティティーはあなた自身なのです。

他の要素はいりません、

それはあなたのアイデンティティーに付属するものに

過ぎないということです。

修飾語と同じだと思ってください。


どんな職業についているか、どんな学校を出ているか、

どのくらい収入があるか、どんな先祖がいるか、どんな家族、親戚が

いるか、どんな友人がいるか、どんな趣味があるか、夫、妻が社会的に

どんな地位にいるか、子どもがどのような学校に通っているか、

どのような家に住んでいるか、どんな車に乗っているか・・

数え出したら切りがないほどの修飾語があります。


でも、それは本当にあなたのアイデンティティーについている付属、

あなたを表すのに分かりやすい修飾語にすぎないのです。

フェラーリに乗っている私・・ではなく、私がフェラーリに乗っている

という表現です。


その修飾語があってもなくても、あなたというアイデンティティーは

何も変わらないのです。


あなた達は修飾語の方を大切にするような教育を受けています。

あなた自身ではなく、あなたの付属である物をあなたの価値を決める

アイテムだと思い込まされてしまっているのです。

そして、そのアイテム、修飾語を比較し合い、競い合っているのです。

たとえば、美しいという修飾語とキレイだという修飾語のどちらが

優れた表現かというようなナンセンスなことを言い合っているのです。


あなたはそのアイテムを持っているのですね・・

それだけでいいのです。

あなたを表現する修飾語はそれがぴったりしますね・・

私の修飾語とは少し違いますが、どちらもステキな修飾語ですね・・

それだけでいいのです。


だって、修飾語を競い合っても、あなた自身は何も変わらないのですから。

持っているアイテムを競い合っても仕方がありません。

持っているアイテムを自分の人生を楽しくするために使ってください。

アイテムをたくさん持っているということに、価値を見出さないでください。

アイテムをたくさん持っている、素晴らしい修飾語(だと思っている)を

つけている自分が素晴らしいと思わないでください。


何度も言いますが、それは修飾語であってあなた自身ではないのです。

だから、他の人の修飾語をうらやましがったり、自分は持っていない

アイテムを持っている人にたいして悔しがったりしてもあなたには

何にも良いことはありません。

反対にあなたのセルフイメージが低くなってしまうだけです。


あなたはあなた・・それがあなたのアイデンティティーだということを

理解してください。

それをしっかりと理解出来れば、あなたのアイデンティティーが揺れたり

崩れたりすることはありません。

あなた以外の付属のものがアイデンティティーだと思ってしまうから、

ダメだと思ったり、特別になりたいと思ったり、劣等感や優越感などを感じ

感情が上がったり下がったりと忙しいことになるのです。


あなたがあなたを認識していること、それがあなたのアイデンティティーです。

あなたがいればそれでいいのです。

その考えがしっかりとしていれば、あなたの中は平和でいることが

出来ます。


あなたは宇宙そのものです。

誰もあなたのアイデンティティーを脅かすことは出来ません。

それほど素晴らしい存在だということなのです。

付属品ではなく、修飾語ではなく、あなた自身に誇りを持ってください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


自分はどういう存在なのか?

ということを本当に知っているのは自分以外にありません。

他人は決して自分自身のすべてを知っているわけではないからです。

そして、他人というのはアシュタールの語るようにフェラーリーに

乗っている自分しか知らないのですから当然と言えます。

それを他人に自分を判断してもらおうとして下駄を預けることも

間違っている行為だと思います。

アドバイスとして受け入れることはいいかもしれませんが、それは

あくまでも参考であり、決定打となるわけではないので、その

アドバイスを受け入れるかどうかは自分で判断すべきものです。


私たちはいろいろなカラーをまとっています。

子供の時代に観られた性格や行動パターン、言動などが当時の

自分を知る級友たちにはそのように映りますが、時代とともに

成長とともに人は変わります。

だから、過去の自分=現在の自分とはなりません。

一部残るとは思いますが、すべてではないということですね。

何度か書きましたが、40年ぶりに郷里に戻って来て迎えてくれた

高校時代の友人が言うには口々に「こんな人ではなかった」でした。

そう言われたからにはずいぶんと変わったんでしょうね。

それでも、それは自分自身の一部しか見てません。

だから、本当の自分を知るのは自分以外に無いということです。

そして、宇宙には一つしかない大変貴重な存在だということです。




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