SSブログ

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自由を取り戻してください・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:自由を取り戻してください・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



クオリティー・オブ・ライフ・・

そこにフォーカスして、あなたの自由を取り戻してくださいbyアシュタール


------------------------------------------------------------------------------------------------------------



今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

お互い管理?監視?しあわないでください。

あなたのまわりにいる人は、敵ではありません。

あなたのまわりにいる人は、あなたの利益を損ねる人ではないのです。

分かりますか?

あなた達は、管理された社会にいます。

何もしなくても管理され支配者たちに搾取されているのです。

その上にまだ庶民たち同士で管理、監視しあっていると

本当に息のつまる社会になってしまいます。

支配者たちは、庶民たちにお互い管理

監視しあう制度を意図的につくりあげているのです。

お互いいがみ合うように意識を操作しているのです。

その方が彼らにとって都合がいいからです。

庶民たちがお互いいがみ合って、管理しあって、

監視しあっていると一番の不自由(管理、監視)の根源である

彼ら支配者たちに眼を向けなくなるからです。

そして、どんどん彼ら支配者たちにとって

都合のいい方向へ行くからです。

小さなところで、お互いをつつき合わないでください。

他の人に文句を言うと、あなたも結局は文句を言われるのです。

タバコを吸ってはいけません・・というと

じゃあコーヒーもダメです・・ということになってしまうということです。

お互い縛り付けあい、お互い不自由になる

・・悪循環が起きてしまうのです。

どんどん不機嫌な環境になって行くだけです。

誰かに制限をかける(自由に介入する)ということは、

あなたも誰かに同じように制限をかけられる

(介入される)ということになるのです。

100%の正義などありません・・誰かにとっての正義は、

他の誰かにとっては正義とは思わないのです。

いつも言いますが、100人いれば100の考え方があります。

それを、みんな同じ考え方にすることは不可能なのです。

そんなことをしようとすると、みんな不満を持ちます。

不満を持つから、争いばかりが起きるのです。


自由にしたければ、人も自由にさせてあげてください。

自分は正しいと思うことでも

人はそれを正しいと思うかはわからないのです。

自分はそれが常識でしょ、と思うことでも

常識だと思わない人もいるのです。

みんな違うのです・・だから、違いを認め合ってください。

自分の意見を押し付けてしまうと、そこには軋轢が生じてしまいます。

私はこう思います・・でも、あなたはこう思うのですね

・・それでいいのです。

私の意見に従いなさい・・などというのは、傲慢でしかないのです。

そんな権利は誰も持っていないのです。

お互いに介入しなければ、

とても風通しのいい気持ちのいい社会になります。

お互い、管理しあって、監視しあっても何も生まれません。

ただ、どんどん風通しの悪い窮屈な社会になるだけなのです。

そして、意図的にそういう風潮を作りだしている人たち

(支配者たち)がいることを忘れないください。

その人達の意図に乗らないでください。

あなた達がお互いの自由を認め合い、管理、監視をやめれば、

支配者たちはあなた達を支配・コントロールできなくなります。


自由はとても大切なものです・・

自由がない生活、人生は、とてもクオリティー・オブ・ライフ

(人生の質)の低い人生なのです。

クオリティー・オブ・ライフ・・

そこにフォーカスして、あなたの自由を取り戻してください。

ご機嫌さんでいてください・・

そうすれば人のことに(いい意味で)関心がなくなります。

人の自由に介入しようなどと思わなくなります。



あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


自由ほど尊いものはありません。

もし、自由がなければ自分のしたいことも出来なくなるでしょう。


今の日本はホントに社会全体がギスギスしていて暮らしにくくなってきています。

その代表的なのはSNS投稿に対する文言への批判や中傷でしょう。

誰もが自分こそが正しいと言い始め集中的が攻撃をしますが、それによって

受ける当事者の心理的ダメージや行動の制限があります。

とくに有名人、芸能人、政治家、自治体などへの批判が見られ、それらはある意味

衆人環視と同じ役割を果たしてしまっています。

そのため、うかつなことが書けないということになり、投稿者の自由を互いに

束縛しています。

中には的を得た投稿もあるかもしれませんが、大部分が自分の意見の押し売りです。

そのくせ、政治的な大問題に対しては誰も批判しません。

何かがおかしいと思います。

為政者の権力の前では黙し、そうでない場合は声を張り上げるくらいの勢いで

そうした内容の批判がSNSやTwitterで拡散されます。

それがニュースとして取り上げられることでさらに炎上する。

そして、いつの間にか沈静化しますが、それが間違っていたとしても誰も

責任を取ることなく終わってしまう。

その繰り返しです。

それは形を変えた監視社会です。

その一端を政府関係者のSNS投稿によってコントーロールされていることを

誰も知りません。

火のないところには煙は立ちません。

誰かがが焚火に薪をくべ大きくしているのです。

そして、これはSNSに限らず人間関係においてもそうです。

私たちは何かと隣人をコントロールし、束縛しようとします。

それは他人の自由を尊重するならば本来してはならないことです。

そうしたい場合にはその理由を明確にし、話し合い互いの合意を

得たうえですべきことです。

それを命令、あるいは指示という形で人を束縛するものではないのです。

仕事の場合はある一定の合意の上のルールに基づいているのでしなければ

ならない場合はする必要があります。

だからと言って奴隷ではないので合意に寄らないものは拒否して良いものです。


人は本来自由な存在であり、それはすべてにおいて優先されなければならない

ものです。それが出来ない場合には話し合うことですね。

話し合ったうえで互いの許せる自由の範囲を決めればいいものと思います。





nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。