SSブログ

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お金のエネルギーが寄って来る思考・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:お金のエネルギーが寄って来る思考・・・」




(ここから)


先日の「水ではなく、ジュースが欲しい??」の記事に

ご質問をいただきましたぁ~~


貧富の差はその満たされ気分の差なのでしょうか。

貧乏な人は、結局、不平不満が多いと言うことなんでしょうか。


では、アシュタール、よろしくお願いしま~す^0^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

たくさんお伝えしたいことがあります。


先ず、貧乏という概念についてですが・・

どこから、どこまでが貧乏で、どこからが裕福なのでしょうか?

貧乏という言葉には、基準がありません。


たとえば、10億持っている人でも、100億持っている人をみたら

自分はその人よりも貧乏だと感じるかもしれません。

そうですね・・


貧乏という言葉は、比較があるから成り立つ言葉だということです。

誰かと比べて自分は貧乏だ、裕福だと思っているだけでは

ないでしょうか?


そして、この比較が、人の思考にクセをつけてしまいます。

つねに、誰かと比べて(大体は自分より持っている人と比べますね)

私は貧乏だ、お金を持っていないと思ってしまいます。

もっとお金が欲しい・・と思うクセがついてしまうのです。

この思考のくせが、現実を創造します。


もっとお金が欲しいといつも思っているということは、

いつも自分は持っていない、貧乏だと言っていることになりますので

持っていない現実になるということです。

分かりますか?

思考が先、現実はあと・・お金が欲しい、貧乏だと思っていると、

自分は貧乏が好きで、お金がないことを望むと言っているのと同じ

ことになるのです。


イヤだ、イヤだ・・と思っていることは、そこにフォーカスし続けて

いることと同じなのです。


貧乏だと思っている人によくある思考のくせなのです。

私はお金に縁がない、いつも貧乏でお金が足りない・・と思う

思考そのものが、お金というエネルギーを遠ざけているということです。

自分でお金を遠ざけているのです。


そして、自分から見てお金を持っている、豊かだと思っている人をみて、

イヤな気分になるくせもあります。

その人が幸せかどうか(満たされているかどうか)も考えることなく、

お金を持っていそうだと思うだけで、ムカッとしたり、イヤな気分になったり、

攻撃したくなったりすることがあると思いますが、それはとても損な思考です。

その人に対して感じていることは、お金を嫌っているからなのです。

自分にはまわってこない憎たらしいお金を持っている人は、イヤな

人だと思ってしまう・・それは、汚くて憎たらしいお金はいらないと

宣言しているのと同じです。

自分はそんなお金はいらないと言っているのです。

汚いことをしなければお金は手に入らないと思っていると、

お金を嫌ってしまいます。

お金を嫌うと、お金はあなたに寄り付かなくなるのです。

そうですね・・嫌われている(拒否する)エネルギーには近づかなく

なります。

お金はただのエネルギーです。

お金に良いお金も悪いお金もありません。

お金を善悪などで判断しないでください。


貧乏な人は、結局、不平不満が多いと言うことなんでしょうか。

不平不満が多いから貧乏なのでしょうか?・・・という事ですが、

不平不満が多いから貧乏になるのではなく、貧乏だと思うから不平不満が

出てくるのです。

自分で貧乏だと思う思考自体が問題なのです。

貧乏だと思っていると、100億持っていても貧乏だと感じるのです。

そうすると、貧乏なのです。

1000億持っている人をみたら、自分は貧乏で悲しい、くやしいと

なって、こころは平安でいられなくなります。

貧乏というのは、物質をどのくらい持っているかではなく、

自分がどう思っているかということで決まるのです。


そんなにたくさんのお金、物質を持っていないとしても、

満足していれば自分は誰かと比べて貧乏だとは思いません。

言葉で説明するのは難しいですね。


決して、貧乏が良いとか、清貧が良いのですとか、宗教的なことを

お伝えしているのではないことは理解してください。

欲しいものは欲しがってください。

お金も必要なだけ欲しがってください。


ただ、不安から欲しがると、いつまでたっても満たされることはありません。

いつまでも、自分は貧乏だと思うことになります。

貧乏で、お金に困っている・・という思考がくせになってしまうと、

そういう現実を創造してしまうとお伝えしているのです。


私は豊かです、満たされています・・という思考でいると、必要なものは

必要なときに、必要なだけ手に入れることが出来るので、貧乏だという

思考にはならないのです。

お金は使えばなくなります。

でも、循環すればなくなることなく、必要なときには入ってくるのです。

そうなれば、不足することはないのです。


いま持っているお金の額、資産が多いか少ないかは関係ないのです。

循環しているかどうかが問題なのです。

循環させ、そして、その循環を大きくしていく方向で考えてください。

循環を大きくしていくというのは、射程圏を広げていくということです。


いま誰かと比べて持っていないから貧乏だという発想が、お金や

物質を遠ざけてしまいます。

貧乏という言葉を手放してください。


もし、自分よりたくさん持っていると思われる人をみたら・・

チェッと思うクセを手放し、次は自分の番、私もあの人のようになります

(なりました)という発想になってください。

そうすれば、射程圏は広がります。


お金の問題は、とても深くあなた達の中に刺さってしまっています。

お金について話をしてはいけないというタブーにもなってしまっています。

でも、何度も言いますが、お金はただのエネルギーなのです。

だから、循環させていけばいいのです。

循環していれば、常にあなたに入ってきます。

だから、貧乏だからとか、お金に縁がないとか、生まれつき恵まれないとか

お金は汚い、などに偏見を手放し、必要なときに必要なだけ循環する

ことを信じ、循環させてください。


循環させるためには、先ほどからお伝えしてるお金のエネルギーを

遠ざけてしまうくせを手放し、お金のエネルギーが寄ってくる思考の

くせに変えてくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


私も子供の頃は家がとても貧乏で小学校tのときなんかは弁当を持たせて

もらえず、休み時間には走って5分くらいある自宅に戻り、ふかした

さつまいもを食べて、また学校に戻るということもありました。

だから、今の貧乏とは違ってかなり貧しかったと思います。

でも、それほど貧乏と言う気がしませんでした。

それはそういう生活に慣れていたこともありましたが、あまりひもじいと

いうほどのこともありませんでした。

今と違ってテレビとかエアコンとかなどの家電製品の必要性はそれほど

なかったし、衣類も毎回新調することもなかったし、靴もゴム製のものを

一年くらいはき続けていました。

ようするにあまり無駄が金がかからなかったからですね。


だから、今の人は貧乏と言っても要するに生活に必要なものに多くの

お金がかかり過ぎるからでしょう。

親子3人でいてもアパート代、食費、衣類、交通費、医療費、ガス・水道

などの光熱費の他に健康保険や民間の生命保険、税金などにお金がかかり

教育費もバカになりません。

それが当時だったら、アパート代は官舎だったので月1000円程度で済み

衣類は必要な時だけ買い、交通費も街中だけの移動なのでほとんど歩きです。

医療費は当時1割負担でした。健康保険も税金も今ほど高くなく、税金も

安かったと思います。教育費も月500円程度の教材費です。

食費も野菜なんかは田舎の実家から分けてもらったり、近所からのもらい

ものであったり、自分でも畑を持っていたのでそれほどかからなかったと

思います。

まあ、今の人もそんな生活で満足できればの話ですが・・・。


それが今や毎月の生活費が最低でも20万円が必要です。この最低と言うのは

本当の最低です。人並みの食事、例えばお祝いの時には出前を頼んだり、

何かしかの料理を用意したり、時には外食をしたりということをすれば

親子3人なら毎月の生活費は25~30万円くらいは必要になります。

出来れば40万円と言う声もありそうですが・・・。


要するに都会で普通の生活を維持をするためのお金がかかり過ぎるからです。

田舎に移住してしまえば、その生活費はそれほどかからないでしょう。

長野の田舎生活なんか食べ物にはそう困らないと思います。

土地も広いので畑を耕せばいいんですから。


文化的でものに恵まれ、家も立派で車も高級車でと言えばきりがありません。

どこで線引きをするかです。


話変わって、今貧乏だと思っている人はどうして貧乏になるのか?

ということですね。

やはり思考と物の考え方がベースだろうと思います。


親が貧乏だとやはり考え方も貧乏くさくなるので大人になってからも

お金に窮するのではないかと思います。

しかし、親が貧乏であっても成長して大人になってから経済的に成功して

大金持ちになっている人もいます。

ということはどこかの時点でお金に対する考え方を変えているということです。


また、仕事を辞めざるを得なくなってやめたはいいけど次の仕事が見つからず

そのままずるずるときてしまい、収入がない人もいます。

そのような人はどうしても辞めさせられたという思考が抜けず、いつまでも

自分が仕事に就けないことを心の中でうらんでたりします。

その思考がいつまでも仕事に就けないという現実を創り続けている可能性

だってあります。

そこは心機一転、何でもやる心構えと新しいことにチャレンジする気構えが

重要になります。そうでないと今までと同じような仕事にしか注意が向かず

仕事の選択肢が狭まってしまいます。

やろうと思えば何でも出来るはずです。

思考を広げていけば、何かのチャンスに恵まれることだってあります。

突然、どこからか、知人や友人から仕事の紹介があるとかですね。


アベノミクスが浸透するに従い、日本人の平均年収は毎年下がり続け世界的に

見ても日本人の年収はかなり低いものになってしまいました。

そういう点から見ればアベノミクスは成功したと言えるでしょう。


もちろん、政治的に見れば年収は下がり続けていますが、中にはそれほど

ダウンしなかった人もいると思うので、そうした人は考え方が違うのだろう

と思います。

それは自分で仕事を創るという思考です。

それが出来る人が最後にはお金を手にしています。


この考え方を変えていくのは自分の思考を広げ、可能性を広げるように

しないとできません。従来の考え方を続けていく限りは難しいと思います。

結局、貧乏は誰かのせいではなく自分の思考がもたらしている部分が半分は

あるということです。

あとはどこで貧乏と金持ちのラインを引くかですね。

金持ちにこだわりすぎるとお金は入ってこないので、どこかの時点で

アシュタールの語るように「満たされている」という思考を見つける

必要があるように思います。






nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。