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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰の太鼓判も要らないのです・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:誰の太鼓判も要らないのです・・・」




(ここから)


今日の破・常識!



あなたにとってどれが正解で正しいことなのか

答えられる人は誰もいない・・・らしい(笑)


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

誰かあなた以外の人に、これは正解ですか?・・と聞かないでください。

これは正しいですか? これで大丈夫ですか? 

これで合ってますか?・・

あなたにとってどれが正解で正しいことなのか

答えられる人は誰もいません。

それは、あなたが決めることなのです。

あなたがそれでいい・・と思えば、そ

れがあなたにとって正解なのです。

誰の太鼓判もいらないのです。


あなた達は、学校でこれが正解ですという答えを

覚えるように訓練されています。

正解は一つです・・と、教えられるのです。

あなたは考える必要はありません・・

答えを覚えればいいのです・・と。

答えは決まっている・・○か×か・・

二つしか世界は無いと思い込んでしまいます。

そして、選択するときも、あらかじめ選択肢が

いくつか決められており、その中から選びなさい・・と。

それは自由に選択できるように見せかけていますが、

制限のある選択しか出来ないように訓練されているのです。

用意された選択肢以外は、間違いだと思わされているのです。

あなたは考える必要はありません・・

用意されたものの中から選べばいいのです・・と。

だから、常に誰かに提示された答えを探そうとしてしまいます。

答えはもう決まっているのだから・・と。


決まった答えなどないのです。

あなたが決めるのです。

だから、誰に聞いてもわかりません。

私がここテラに転生してきた理由?目的?はなんですか?

・・と誰に聞いても、それは分からないのです。

自分にしか分からないのです。

誰かに聞いて答え合わせをしたくなる気持ちはわかります。

誰かに、これがあなたの目的ですよ・・

と教えてもらえれば楽だということもわかります。

でも、もし誰かがそれをしたとしたら

それは自由への介入になるのです。

あなたは、この目的のために転生してきました

あなたの使命は○○です・・と言ったとします。

それが正しい答えだとあなたが受け入れてしまうと

あなたはその現実を創造してしまうのです。

あなた自身で考えることを止めてしまい

それが自分の目的だとして、その方向を目指してしまうのです。

分かりますか?

それだと自分の人生ではなくなってしまいます。

それでは、その人に自分の人生を渡してしまうことになるのです。


私は自分でこれがしたくて転生してきたような気がします。

そして、それがしたいです。

それをするにはどうしたら良いでしょうか?・・

という問いならば、お答えする事は出来るのです。

いくつかの方法を提案することは出来るのです。


私はお腹がすきました・・私は何を食べればいいでしょうか??

・・と誰かに聞かれたらあなたはどうしますか?

困りますね・・あなたは何が食べたいですか?

・・と聞くしかないですね。

私は何のためにここに転生してきたのでしょうか?

と聞くのは、これと同じことです。

私がしたいことはなんですか?楽しいことはなんですか?

何の仕事に向いていますか?

私の良いところはどこですか?

私のパートナーはどこにいますか?どんな人ですか?

私の人生これからどうなりますか?・・

と聞いているのと同じです。


例えば、パスタはどうですか?・・

お寿司はどうですか?・・天ぷらという選択もありますよ

・・と提案することはできます。

いまパスタの気分か、そばの気分か、お寿司の気分か

・・その中にピンと来るものがあるのかないのか

・・それはあなたにしか分からないのです。

こんなメニューがありますよ・・と人は提案するしか出来ないのです。

決めるのはあなたなのです。

その中で私は何が食べたいのでしょうか?・・と聞かれても

それはわかりませんと答えるしかないのです。


あなたはカレーを食べなさい。

それが正解です。それがあなたにとっての答えです・・

と答えたらどうでしょうか?

違和感がありますね。

そんなこと勝手に決めないでよ・・・って思いませんか?

それとも、決めてもらってよかったって思いますか?

決めてもらってよかったと思う人は、どうでしょうか?

言わなくてもわかりますね。


簡単に説明しましたが、あなた達がいつも誰かに

問いかけている答えはこういうものです。

正解はどれですか? 答えを教えてください・・

という問いかけは、何を食べたら良いですか?

私が食べるものをあなたが決めてください・・

と言っていると同じです。


食べたいものを好きに食べてください。

あなたが食べたいものを知っているのは、あなただけなのです。

そして、その食べたいものがあなたにとっての正解なのです。

他の人が違うものを食べていても

それはあなたが食べたいものではありません。

それは、その人が食べたいものであって

あなたの正解ではないのです。

あなた以外の誰かに、あなたの答えを聞かないでください。

あなた以外の人に、あなたの正解は分からないのです。

そして、これがあなたの正解だからこうしなさいと言う人が

いるならば、その人から離れることをおすすめします。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


現在の教育制度が何を目的にしているかというのはこれを見るとよくわかると思います。
→教育改革国民会議第1分科会(第4回)資料 一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)

ここにあるのはいかに子供を洗脳し、彼らが必要とする人間に育てるかという

ことが書かれています。

たとえば、

<小学校高学年>
教育の責任は当人50%、親25%、教師12.5%、一般社会12.5%であることを自覚させる

<中学生>
簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする

<共通事項>
遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の「我慢の教育」をする

<大人の側からの子供の教育の主眼?
芸術、宗教、文化の領域にかかわる教育を(科学技術と社会科学に次ぐ)第3の教育軸
として位置づけ、教育システムの抜本的な再編成を早急に行う
義務教育を大幅に見直し、多様化を図る
一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学を保留扱いする
他の子どもの学習する権利を妨げる子どもを排除する権限と義務を学校に付与する
問題を抱える学校に指導主事のチームを常駐させる
トラブルの処理は学校だけでは無理であり、教育委員会が第3者機関を作り、そこで引き受ける
警察OBを学校に常駐させる


明らかに選別教育をしていることがわかり、個々の特性に合わせた教育制度では
ないことが明らかです。

こうした方針は文部省の学校指導要綱へも反映されているでしょう。

いかに大人の指示に従い、Yes、Noという回答を求め、多様性のある考え方を養う
ことは出来るだけ排除しようとしています。


しかし、こうしたことは表立って示されることはないので多くの人にはわからず
子供をそのまま教育者に預けていることになります。

本当に、戦後間もないころとは大きく異なっています。
昭和40年代までは多少の制約はあったとしても、それぞれの考え方を重んじ
自ら考える機会を与えた内容の教育制度になって(主に教師がその役割を果たして
いました)いたと思います。
私の入学した高校では当時では珍しく、学校の校則に対して生徒から疑義が出た
野に対して、生徒会集会の場で全員に議論させたりして自ら考えることを教育
されました。しかし、それを実施した先生はすぐに転勤させられたようなので
教育委員会からは厳重に注意されたことと思います。
しかし、現場の教師たちは生徒の未来を考えてのことだったと思っています。
それが一気に変わったのは平成に入ってからでしょう。

自由に考え自由に行動し、かつ他人の自由も尊重するというのが私たちの目指す
方向ではないかと思います。そこは個としての存在が重視される世界です。

以前にも掲載したと思いますが、「女王の教室」という番組で語られた言葉がそのまま
現実を表しています。誰がこの番組を作らせたのかわかりませんが、当時の日本人に
対する警鐘という意味もあったのでしょう。











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