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世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:どうしてダメなの?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん:どうしてダメなの?」



(ここから)


校則が消えた理由

靴下は白でないとダメだっていう校則があった。

生活指導主任の教員に「なぜダメなのか」と問うと、答えられない。

校則で決まっているけど、なぜ決まっているのか、

実は誰も理由を答えられないのだ。


やってはいけないことであれば理由を説明すれば

子どもたちも納得するはずで、説明もできないのに

押しつけるべきではないということだ。


     ↑  ↑  ↑


これだぁ~~・・これですよねぇ~~^0^


・・ということで、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あきらめないでください。

あきらめないで考えてください。


思考を動かしてください。

ダメ、出来ない、してはいけない、決まっているから・・などの声が

あなたの中から聞こえて来たら、どうして?・・と自分に問い直してみてください。


どうして出来ないの?どうしてダメなの?どうしてしてはいけないの?・・

と聞いてください。

答えがはっきりとしないことに関しては、あなたの思考が停止しているところです。


小さなときから言われているから、学校で決められたことだから、常識だから、

みんながしていることだから、みんながしていないことだから・・

その答えは、思考停止の答えです。


どうしてこれはダメなのか?

その次を考えてください。

何がダメなのか?・・それをするとどうなるのか?・・・考えてください。


そうすれば、出来ないことが減ります。

ダメ・・と自分に言う言葉が減ってきます。

あなたは何でもできるのです。


あなたは自由なのです。

何をしてもいいのです。

どんな選択をしてもいいのです。

その選択の結果を受け入れる覚悟があれば、何をしても良いのです。


ここで結果を受け入れるというと、罰を受ける・・と、

あなたの頭の中では罰を受けなければいけなくなる、

という変換になるようですが、結果を受け入れるということは

罰を受けることではありません。


どんなことでも、結果はあなたが受け入れなければいけないのです。

もし、先生なり権威のある人が、これはダメです、出来ません・・と言ったことを

受け入れて、ダメだ、出来ないと思ってしなくても、しないという選択をしたのは

あなたなのですから、出来ないという結果(現実)を創造してしまい、その結果を

受け入れることになるのです。


どのようなことでも、誰が何と言おうとも、誰の意見に従おうとも、

自分で決めようとも、結果はすべてあなたが受け入れることになるのです。


言っている意味が伝わっていますでしょうか?


あなたが選択したことが現実となって、あなたはそれを受け入れるのです。

ならば、自分の好きなことを選択して現実にしてください

いくらでも自由に出来るのです。


そのために、ちょっとだけ思考を動かす練習をしてください。

あなたは教育制度によって、思考を停止されてしまっているのです。

偉い人から(権威のある人から)ダメです・・と言われれば、何も考えずに

理由もわからずに、ただダメなんだ・・とあきらめるように教育されてしまって

いるのです。


ダメ・・の先を考えられるようになってください。

どうしてダメなのか?・・理由をしっかりと考えられるようになってください。

そして、理由がわからないなど、納得出来ないことに関しては従う必要は

ないのです。


あなたが、あなたの人生の主役です。

あなたの人生の権利を、あなたの手に取り戻してください。

それには、思考を動かすということが大切になってきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


これは以前にも私が記事として取り上げましたが、この校則をなくした学校の

校長先生の考え方がすこぶるシンプルで、疑問をひとつひとつ消して行ったら

最後には校則が残らなかったというものでした。


なぜ、靴下は白でなければいけないのか?赤や黄色、茶色、黒であっては

いけないのか?ということですね。


白と言う色には

清潔、純潔、純粋、無垢、汚れていない、混じりけのないと言った意味合いを

含んでいます。

そこには生徒に対して求める理想や思い入れがあるのではないでしょうか?

学生は純潔・無垢であって欲しいという気持ちが「白」という色の靴下に

限定することを要求しているのだと思います。

なせ?と言われても当の大人の教師たちにはわかるはずはありません。

なぜなら、自分たちが生徒にその理想を押し付けていることを認めたくない

からです。あくまでも校則だからということにしておかないと自分たちの

責任ということにしたくないからです。

大川小学校での津波による犠牲で多くの生徒が亡くなった事件の判決の結果

にもそのことが現れています。最後には引率した教師ではなく学校や教育委

員会に責任があるとされたものですが、結局は教師の責任を認めたものです。

教師にとっては最後まで認めたくないものだったに違いないと思います。

だから、教師と言う集団にはそうした側面が隠されているものと思います。

だから、「高速で決められているから」という言葉が出てくるのです。

そんなことを無理やり押し付けられても生徒が納得するはずはありません。

多くの校則はみんないやいや渋々従っているに過ぎないものです。

でも、今回の記事にあったようにひとたびその疑問を徹底して追及してしま

えば全く意味のないことだったということになるのだろうと思います。




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