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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:その楽な道の先には・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:その楽な道の先には・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



あなたのちょっとの我慢が、大きな我慢になってしまう。

その時はちょっと我慢することで楽になったと

思うかもしれないが、その楽な道の先には

いばらの道が広がっている・・・らしい(笑)



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

私が少し譲歩すればここは丸く収まるから、

ちょっとだけ目をつぶろう・・って思うことはありませんか?

ここで少しだけ自分が我慢すれば、あの人のイヤな顔

(不愉快そうな顔)を見ずにすむから・・

だからちょっとだけ我慢しとこう・・って思うことはありませんか?


その時はその方が楽な道に思うかもしれませんが、

でもその道はその後いばらの道へとつながっていることを

わかってください。言い方を変えると・・

ちょっと我慢すると我慢の回路が開いて、そのあとどんどん

我慢しなければいけないことが増えて来る・・ということです。

ここを丸く収めるために自分が少し我慢すればいい.・・

って思うことは、我慢を自ら進んで受け入れるということです。

我慢を選ぶということですから、

自分で我慢の現実をつくり出すということです。

ちょっとだけ・・このちょっとだけが、

ちょっとだけにとどまらなくなるのです。わかりますね?

ちょっとそれは理不尽な要求だな、と思っても、

それを拒否するとその場の空気(雰囲気)が悪くなるから、

だから今日のところはちょっとだけ受け入れて・・なんて思っていると、

今日のところだけでは済まなくなるということです。

それはひとりの人にとどまらなくなります。

この人だけに我慢します・・と言う訳には行かなくなるのです。

他にもあなたのまわりには、

あなたに我慢を強いる人が集まってきます。

なぜなら、そのちょっとだけを思考の習慣にしてしまうと、

それがエネルギー場でも出てしまいまうからです。

ある意味、私は我慢を受け入れます・・

とエネルギー場で宣言しているのと同じになるのです。

そこに、自分の言うことを聞いてくれる人

(我慢してくれる人)いないですか?・・と

エネルギー場で探している人がいると、

その人とエネルギー場で合意が出来てしまい、それが現実となって、

あなたはまた我慢しなければいけないことになるのです。


私のまわりには理不尽なことを要求して来る人が多いのよねぇ~~、

なんか私ばかり我慢しなければいけないことばかりが

起きるのよねぇ~~どうしてなのかしら?・・

私の何が原因なのぉ~~・・って思っている方は、

あなたの・・ここは丸くおさめるために、

ケンカにならないように、

みんなが平和で笑っていられるために・・

私がちょっとだけ我慢すれば、ちょっとだけ引いておけば・・・

という思考が原因だということをお伝えしたいと思います。

何も表だってケンカをしてください

と言っているわけではありません。

口に出さなくても、エネルギー場で

私は我慢しませんと宣言していれば、あなたに我慢を

強いる人とエネルギーがつながりませんので、

そういう場面もなくなるのです。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


エネルギー場で引いてる人には、

押してくる人が寄って来るということです。

姿形(身長や体型など)ほとんど変わらないのに、

いわゆる怖い方たちに声をかけられる(ケンカを吹っ掛けられる)人と、

まったく声をかけられない人がいるのはどうしてでしょうか?

これはエネルギー場で引いているか、

引いていないかの違いなのです。

エネルギーが引いていると、ある意味

オドオドした雰囲気を醸し出しているのです。

オドオドしていると、何となく威嚇したくなる人がいるのです。

威嚇することでその人から

エネルギーをチャージすることが出来るからです。

でも、引いてない人は、この人を威嚇しても

オドオドしたエネルギーを出さない(怖がらない)から

エネルギーをチャージすることが出来ない

と思うから関心を持たないのです。


人は(人だけではありませんが)まずエネルギー場で話をします。

そして、お互いの合意が出来れば現実になるのです。

我慢してください・・と言う人と、いえ私は我慢しません・・

と言う人では合意が出来ませんので、我慢しませんという人には、

我慢してくださいと言う人は近づいてこないのです。


我慢するのがイヤな人は、ここは丸く収めるために

ちょっとだけ我慢しましょう・・という思考を捨ててください。

我慢しなくても丸く収めることは出来るのです。

ケンカしなくても、お互いの意見を尊重しあい、

いい解決法を見つけることは出来るのです。

誰かの我慢の上に成り立つことは長続きしません。

その時は、何となくうまく解決したと思っても

必ずまたどこかで同じような問題が起きてきます。

あなたがちょっと我慢したことは、

問題を後回しにするのと同じことなのです。

そして、その後にまた問題が起きて来る時は

もっと大きな問題となってきます。

そして、それをまた後回しにするためには、

あなたのちょっとの我慢が、大きな我慢になってしまうのです。

その時はちょっと我慢することで楽になったと

思うかもしれませんが、その楽な道の先には

いばらの道が広がっていることをわかってくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


我慢すると言っても、誰かのために我慢しなければならないという機械自体が

私の場合減ってきているので、そうしたことは少ないようです。

しかし、我慢しなければならない時には我慢しているということをわかった上で

我慢するようにしています。

我慢しなければこの先どうにもならないという思考ではなく、我慢するべきで

あるという思考ですね。それを受け止めているという事です。

だから、我慢はそこでいったん終止符を打つような形になります。


もし、それを何かのために自分を犠牲にして我慢しているという思考になると

同じように我慢をしなければならないことが続いて起きてきます。

少し、言葉では説明しにくいのですが、自分が我慢をしているという事を

認識しているという状態になります。

言葉を変えて言うと、自分が我慢することを必要としているから我慢していると

言い換えることもできます。主体は他人ではなくあくまでも自分です。

アシュタールの述べているのとは少し異なる点があるとは思いますが

そうした方法もあるかと思います。









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