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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:記号はあなたではありません・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:記号はあなたではありません・・・ 」



(ここから)

結婚10年「元専業主夫」が33歳で離婚した理由

というコラムを読みました。

何か身につまされるような内容でした^^

う~ん、分かるぅ~・・って感じ

いろいろ共感するところがあったんだけど、一番そうよねぇ~~って思ったのは、

最後に書かれていたこと。


2人はこの七夕の日の「離婚記念日」の写真を今でも大切に持っているという。

たぶん2人は、離婚という苦渋の決断を経て、

ようやく「個」の人間として向き合えるようになったのだ。


このご夫婦は離婚しても友人どうしてとして付き合うことが出来ているそうです。


結婚という枠から離れたからこそ、お互いを個人として見ることが出来るようになった。

夫婦、家族という枠の中にいたら、相手を個人としてみなくなってしまうんですよね。

私も結婚していたころは、やっぱりそうでしたね。

うん、いろいろ考えさせられるコラムでした^^;




では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなた達の社会は、”個”という見方を無くしてしまっています。

個が大切にされない、個を大切にしない社会はとても閉塞的でツライ社会になります。


集団、組織のために個人がいるという考え方になると、個人は息苦しくなってしまうのです。

個は(言い方は悪いですが)組織のための使い捨てとしてみなされてしまうのです。

それは、いまあなた達が実感されていることだと思います。


集団で生活している生き物たちはたくさんいます。

蜂やアリなどの生活もそうですね。

あなた達は彼らを自分達と同じようにみます。

みんなのために、集団のために、個々の蜂やアリが働いている・・と思っているようですが

そうではありません。

彼らは個をとても大切にしています。

大切にしている・・と表現すると、誰かリーダーがいて、ひとり一人を見ているように

思われるかもしれませんね。

そうではなく、それぞれの個が自分を大切にしているのです。

だから、他の個も大切にするのです。

みんながそれぞれを大切にするからこそ、とても調和のとれた集団になるのです。

だから、みんなが楽しく生活することが出来るのです。


見た感じでは女王のためにみんなが働いている、女王が作っている巣(集団)のために

働いていると思っているかもしれませんが、そうではないのです。

自己犠牲的に集団のために働いているのではなく、自分が暮らしやすくなるために

働いているのです。

分かりますか?

自分の環境を豊かに楽しくするためには、ひとりでいるより多くの人と一緒にいたほうが

いろいろ手分けすることが出来るので、快適な生活になる。

だから、集団になっているのです。


ピラミッド型のように女王一人のために集団になっている訳ではありません。

みんながそれぞれに出来ることを分担することで、自分が楽に豊かに快適に過ごすことが

出来るから、手を取り合って集団になっているのです。

それが個々が手をつなぐ横並びの集団なのです。


同じ集団に見えても、根本的なところが違ってくると、その集団の意味が違ってきます。

あなた達の集団(社会)は、集団のために生きることを強要されています。

自己を犠牲にしても、会社、組織、社会のために生きなさいと教育されてしまっているので

個人の快適さはないがしろにされているのです。

だから、個人として幸せになれないのです。

豊かで自由で快適な生活が出来ないのです。


同じようなことしていても、人のためにすると考えるのと、自分が快適になるためにそれを

すると思うのとではまるで違ってきます。

人のためにするんだ、組織のためにするんだと思って自分の快適さをないがしろに

してしまうと、大きなストレスになってしまいます。

みんながそのようなストレスを抱えてしまうと、社会、組織自体もストレスのかたまりに

なってしまうのです。


家族も同じです。

家族を存続させるために生きるのではなく、個々が楽しく生きるからこそ、

家族は存続でき楽しく快適になるのです。


個人を忘れないでください。

個人がいるからこそ、みんなで集まってたくさんのことが出来るのです。

個人だけでは出来ないこともできるようになるのです。

そうなると、また楽しいことが増えて行くのです。


個人ひとりではなかなか出来ないことも、たくさん人がいれば出来ることが増えます。

それは集団という形をとることになるのですが、集団があるから出来るのではなく、

個人がたくさんいるから出来るのです。

会社があるから仕事ができるのではなく、個人一人一人が出来る仕事をしているから

会社としての仕事が出来るのです。


すべての人と”個人”として向き合ってください。

”個人”として認識することが出来れば、そこに愛の感情(尊敬と尊重と感謝)が

あふれて来るようになります。

個人を個人としてみず、何かの記号のように見てしまうから愛を忘れてしまうのです。

妻、夫、部長、課長、アルバイト、派遣社員、父、母、子ども・・などという表現は

記号なのです。

記号はあなたではありません。


あなたは”個人”なのです。

あなた自身も、まわりの人も”個人”だということを忘れないでください。

記号のように考えないでくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。



(ここまで)


yahooの記事を読んで思うのは「そもそも描いていた理想が間違っていた」としか

思えませんでした。男でありながら家事も炊事も仕事も育児もすべて出来る男になりたい

という一心で結婚したようですが、その理想は育児が始まってもろくも崩れ去ってしまって

いたようです。

しかも、男女同権とは言いながら、すべて自分で背負うことに無理があるのでは・・・。

金銭的にも仕事オンリーの妻が減った収入を負担すべきだと思うのに、そうではなくすべて

割り勘にして足りない分を借金として背負うというのはどうもおかしいような気がしました。

子供は二人で育てる義務があるはずです。ならば子育ても二人でやるのが普通であり、その方が

子ども健全に育ちます。それが記事にあるように妻に子供がなついていなかったという結果に

つながっていったと思います。

また、自分の理想を最後まで負い続けた男の人も偉いと言えばそうかもしれませんが、ある意味

柔軟性がなさすぎます。そこまで犠牲にして妻には好きなようにさせることが本当の愛情だと

勘違いしていたのかもしれません。

もし、お互い足りない部分は二人で分担して分け合うという生活スタイルにすれば結婚生活も

長く続けられたのかもしれませんね。


いろいろと考えさせられる内容でした。



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