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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:同情は優しさではありません」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:同情は優しさではありません」



(ここから)


今日の破・常識!



誰かを幸せにしてあげたいと思うのであれば、

まずはあなたが幸せになる・・といい・・・らしい。


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

誰かが悲しい、苦しい、辛い思いをしている時に

自分だけ楽しそうにしているのは気が引ける・・罪悪感を感じる・・

一緒に悲しみを共有するのが人としての優しさではないのですか・・

というのは、波動の観点から見てとてもナンセンスな考え方なんです。


一緒に悲しみに入ってしまったら、実際に悲しんでいる人たちを

もっと悲しみの波動エネルギーに滞在させてしまうことになるのです。

そこから抜け出せなくなってしまうのです。

分かりますか?

同情は、自立を妨げ依存をさせてしまうからです。

悲しんでいる人たちを被害者の立場においてしまうことになるからです。

被害者になってしまえば、自己憐憫に陥り

自分で歩き出すことが出来なくなります。

自分には歩く力がないと思ってしまうからです。

誰かに支えてもらうか、誰かに連れていってもらわないと

そこから出られない・・と思い込んでしまうのです。

希望?よろこび?のエネルギーから遠ざけてしまうのです。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?


例えば暗い中にいる人たちがいるとします。

光りがなく、何も見えずどうしていいかわからない状態にいるとします。

そこに光が見えれば、どうでしょう?

気持ちが落ち着き、ホッとし、そこまで行こうという思いが出てきて

歩きだすことが出来ます。

だから、悲しみの波動エネルギーにいる人たちにうれしい光り、

楽しい光のエネルギーを放射してあげてください。


同情し、悲しみの中にいる人たちと共にいることが優しさだと思い、

光を消してしまったら、また何も見えなくなって

歩きだすことが出来なくなります。

そして、同情して一緒に光を消してしまった人たちも

一緒にそこから出ることが出来なくなり、

共に暗闇に戸惑うことになるのです。

だから、悲しみにくれている人たちに同情し自粛し

光を消すことはナンセンスなのです。

いまあなたのいる場所から光を放射してあげてください。

ここは明るくて楽しいですよ・・と光を放射し伝えてあげてください。


ならば、遠くではなく近くまで

光を届けてあげればいいじゃないですか?・・

というご質問を受けますが、

これは波動の共振という観点からおすすめしません。

悲しみにくれている人たちの中に入っていけば、

その人たちの波動の方が引っ張る力が強いですので

(重い波動の方が引っ張る力が強いのです。波動にいい悪いは

ありませんが、軽い重いはあります)軽い波動が引っ張られて

同じ重い波動になってしまい光りが消えてしまうのです。

だから、その中に入っていくのではなく遠くから光を放射してください。


自粛するというのは、暗いところにいる人たちに放射するべき光を

消してしまうということになるのです。

悲しみの中にいる人たちに何か手を差し伸べたいと思うのであれば、

あなた自身が楽しくいてください。

好きなこと、楽しいことをして、軽い波動を放射してください。

その軽い波動に共振して、悲しみの中にいる人たちも軽くなります。

軽くなれば(明るくなれば)そこから抜け歩きだす方向がわかります。

自分の足で歩きだすことが出来るようになるのです。


同情は優しさではありません・・

同情すると自立を妨げることになるのです。

優しさは、依存させることではなく、自立を促すことなのです。


悲しんでいる人がいるのに、自分だけ楽しむことは不謹慎だ・・

という考え方を手放してください。

悲しんでいる人に、ここは楽しいですよ・・

こちらに来ませんか?と伝えてください。

悲しみの中にいつまでも留まる必要はないのです。

(悲しみの波動が好きならばそれはそれでいいと思いますが、

悲しみから抜けたいと思うのであれば、

楽しい方向へ意識をかえればいいのです)


悲しみから抜けてほしいと思うのであれば、

一緒に光を消して暗いところにいるのではなく、

明るい光を放射して行先を照らしてあげてください。


誰かを幸せにしてあげたいと思うのであれば、

まずはあなたが幸せになってください。

あなたが好きなこと、楽しいことをしてご機嫌さんでいることが、

他の人の役に立つのです。

波動エネルギーの観点からは、それが一番なのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!



(ここまで)


この世界では悲しい時には一緒になって同情し悲しんでくれる人が

「優しい人」であり、何かの援助の手を差し伸べてくれ支えてくれる人が

素晴らしいこととして教えられています。

そして、その反対の人は優しくない冷たい人ということですね。


なかなかそうした概念を手放すことは難しいことと思います。


ならば、その相手の悲しみに負けないくらい強くなればいいじゃない!

という考え方もできますが、それが長い時間関わり合いを持つと違って

きます。最初は強気でいたのが次第に同情心が芽生え相手と同じ立ち位置

になるようになります。そこが怖いところですね。


悲しみと言ってもいろいろあります。

・人が亡くなった時の悲しみ
・ものを失った時の悲しみ
・他人から意にそわない扱いを受けたときの悲しみ
・財産を根こそぎ失い途方に暮れている時の悲しみ
・天変地異による被害を受けたときの悲しみ

などなど考えればたくさんあります。

しかし、考えてみればわかることですが、そうした悲しみは永遠に続くもの

ではありません。地震や台風などの被害を受けた人たちも数年後には何とか

自立できるようなところまで回復しています。

だから、必要なのは自立するための援助であったり心の支えであり同情心

ではないように思います。


悲しみの中にある人というのはその心の中で「一緒になって悲しんでくれる人」を

求めています。そうしてもらえれば自分の心も安らぐと思っているからです。

そのため、自分自身の悲しみのテリトリーの中に取り込もうとする力が強く、

取り込まれてしまうと抜け出すのが容易でなくなります。


だから、遠回りに見ていてあげるのが一番かもしれません。

早く立ち直ることを心から望んでいるよという気持ちとともにです。

それは同情ではなく励ましでもあります。

そして、自分が楽しい気持ちでいることがもしかしたら相手に「いつまでも

悲しんでいてばかりはいられない」という気持ちを起こさせる原動力になります。

そうなれば、その人も自分の足で立って歩くことを始めると思います。


なかなか、同情心を持たずに見ているというのは難しいかもしれませんが

そうした方向に変えていくべきだろうと思います。











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