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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:負の世代連鎖というのはないのです・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:負の世代連鎖というのはないのです・・・」



(ここから)

破・常識あつしさんのブログ「破・常識あつしの歴史ドラマブログ」に


カルマが無ければ、負の世代連鎖も無く、

その親のもとに生まれたのは必然ではなく

ただその親の子としての体験がしたかったからですか。

親を選んで生まれてくるというのも、自分の意識エネルギーが

そのような親を生み出したということですか。

つまり、被害者意識で親に傷つけられた、というのは間違いで、

自分がそういう経験をしたかったということですか。


・・というご質問をいただきました^^

どうなの?教えてアシュタールぅ~~^0^


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

子どもは親を選んで生まれてきます。

テラで人間としての体験をしてみたいと思った個性のエネルギーは、

この人たちの子どもとして生まれたいと思うと、エネルギー場でその人たちに産んで

くださいとお願いします。

そして、その人たち(両親)がOKしたら、現実に子どもとして生まれてくるのです。

子どもと両親どちらもOKしたから生まれてくるのです。


子どもとして生まれて来る個性のエネルギーは、テラでしたいことがあるのです。

そのために一番良い環境を選んでくるのです。

一番良い・・と言って、あなた達の社会の価値観とは違うものです。

豊かで、両親ともに優しく愛情深く、何不自由ない環境が一番良い環境ということ

ではないのです。

あなた達の社会で、それはちょっと過酷よね・・と思うところでも、そこがその個性の

エネルギーがやりたいことにとって一番良い環境ということもあるのです。


ですので、

>つまり、被害者意識で親に傷つけられた、というのは間違いで、

自分がそういう経験をしたかったということですか。


このご質問には、そうです・・とお答えしたいと思います。


わざわざ自分で、あたたかさを感じられない環境に生まれて、そうじゃない、そうじゃない・・

と思うことで、あたたかさとはどういうものかを探し、そして、それを見つけるという

ゲームをしたいと思ってその環境に生まれるということもあるのです。

身体を持った物質次元での、愛情、あたたかいエネルギーの交流とはどういうものかを

知りたいと思ったのです。


最初からそういうあたたかい交流が出来る環境を選ぶ個性もいますが、反対にまるで

あたたかい交流が持てない環境を選んだ方が、その交流を持てたときの感動が

大きいのではないかと思って、そういう環境を選ぶ個性もいるのです。

それは、いまのあなた達の価値観では理解しにくいかもしれませんが、

体験に良い体験も悪い体験もないのです。

どんな経験も、貴重で素晴らしい体験なのです。


すべては、その個性がどのような体験をしてみたいと考えるかだけなのです。

怖いもの見たさで、自分で選んで怖い環境に生まれることもあるということです。

あなた達がわざわざお化け屋敷に入って楽しむのと同じような感覚だと思って

いただければと思います。

遊びと現実は違います・・と怒りのエネルギーが飛んできますが、生まれる前の

エネルギー場からみれば、物質次元のテラは楽しい遊園地なのです。

どんなアトラクションで遊ぼうかな・・と思っているのと同じなのです。


深刻になってしまうから、その感覚を忘れてしまうのです。


そして、負の世代連鎖というものもないのです。

親がこういう人だったから、子どもも同じようになる・・ということはありません。

親と子どもは別の個性だからです。

環境を受け入れてしまえば、同じようなことを繰り返すこともあるかもしれませんが、

自分でそれを変えることは十分出来るのです。


体罰をする親の子どもがみんな体罰をする・・ということはありません。

体罰をされたことがイヤだったから、自分はしないと選択することが出来るのです。


親のやり方がイヤならば、自分は変えればいいのです。

ですから、負の世代連鎖というのは、ないのです。

自分で変えようとしないだけのことなのです。

DNAだとか、遺伝だとか、そんなことは関係ありません。

考え方次第だということなのです。

分かりますか?


そして、

>自分の意識エネルギーが

そのような親を生み出したということですか。

というご質問についてですが、両親をあなたが思考で作りだしたということは

ありません。

父親と母親はそれぞれに自分の世界があります。

親は自分の思考で自分の世界(現実)を創造しています。


あなたはその人たちとラインをつなげてもらったということです。

簡単にいえば、みんな一人ずつパーソナルゲームを持っていると思ってください。

DSのようなゲーム機です。

それが、それぞれの自分の世界(現実)なのです。

その現実に登場するには、お互いの了承のもと、ラインをつなげるのです。

そうすれば、その人のゲーム機(現実)の中に、あなたが登場することが出来るのです。

同じようにあなたのゲーム機(現実)の中に、その人が登場することになるのです。


誰かをあなたの思考が創り出した・・ということではなく、その人はあなたの思考と関係なく

存在していたところに、あなたのゲーム機とその人のゲーム機のラインをつなげたから、

お互いの現実に登場し、一緒に遊ぶことになったということです。


長くなりましたが、ご理解いただけましたでしょうか?


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


よく「自分は産んでもらいたくて生まれて来たんじゃない」とか、「親は選べない」という

ようなことを聞きますが、そういうことはないという事ですね。


この「自分で親を選んで産まれてきている」ということを初めて聞く方は半信半疑どころか

真っ向から否定してしまうことでしょう。


私たちは生まれてこのかたこうした教育は受けていませんし、むしろ生まれてからの方が

大事で、環境に合わせて自分が努力しないといけないと教えられることが多いと思います。


しかし、生まれた環境が自分で考えていたことと違うというならば環境を変えることも

可能であり、それもひとつの選択の自由だという事です。

産んでくれた親は変えられないかもしれませんが、里子に出されたり、養子縁組で他の親と

一緒に住むという事は出来ないことでもありません。


問題は「自分が親を選んで産まれてきている」ということを認められるかどうかですね。

もし、それが認められるならば考え方も大きく変わることでしょう。


それにしても生まれる前の物の価値観というのはこの世の価値観とものすごく大きく違って

いて、この世の良い悪いや善悪の基準は関係ないという事になりますね。

そうなると、すべてが貴重な体験という事になり、それを意識できるかどうかというところが

大事なポイントになるだろうと思います。





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