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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:カタカムナ文字は、音符だった???」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:カタカムナ文字は、音符だった???」



(ここから)

最近ね、カタカムナ文字についてよくご質問いただくんだけど・・・

カタカムナ文字って何?さくやさ~ん

「そうねぇ、文字って言うより、音符みたいなものって言ったほうがいいかしらね」


音符?どういうこと?

「じょうもんの子たち(はじめの頃の子たち)は、あなた達がいま使ってるような

はっきりとした言葉を持たなかったの。

言葉じゃなくて、ほとんどテレパシーでコミュニケーション取ってたから。

口から出す言葉?音?は、テレパシーの補足的な使い方だったの。

それが、じょうもんの中期くらいから少しずつ大陸から移住者が入って来たでしょ。

その移住者たちともともといたじょうもんの子たちのハーフが生まれるように

なって来て、だんだんテレパシーが使えなくなっていったの。

そのために、言葉、音を多用するようになってきた・・そして、その音を書いたのが

いまカタカムナって言われてるものなのね。」


じょうもんの人たちの文明ってこと?

でも、カタカムナ文明っていうのが縄文時代の前にあったって・・

「じょうもん時代と言われてる時代も長いから・・そして、初期のじょうもんの

子たちは、あなた達が文明だとする遺跡などをほとんど残してない。

自然に寄り添う文明だったから、高いテクノロジーを持ってはいたけど、

建物などは立てなかったからね。


そして、さっきも言ったけど中期になったくらいから少しずつ文明らしきものを

残すようになって来たの。

文字もそうね。」


じゃあ、カタカムナ文明ってじょうもんの中期の人たちの文明だってこと?

「簡単に言っちゃうとそうね」


どうして、文字を使いはじめたの?

「言葉を多用しはじめると、いろいろ誤解が起きて来るし、うまく伝わらなくなってきたの。

テレパシーって思考をそのまま伝えることが出来る。

たとえば写真みたいにね、写真って一目見ればそこの情報をほとんど受け取ることが

出来るでしょ・・だから、誤解が生まれにくいの。

でも、言葉を使い出すと、いちいち説明しなきゃいけなくなる。

写真を説明するのと同じね・・ここに木があって、その下にいぬが寝てる、そのいぬの

毛の色は茶色と白のブチで・・・なんてことをいちいち細かく伝えなくちゃいけない。

とてもまどろっこしい作業になるのね。


その上に、超感覚を失いはじめると波動のことがわからなくなって来てしまったの。

だから、その知識を文字にする必要が出て来たってこと。」


文字?・・だって、さくやさん、さっきは音符だって言ってたけど・・

「文字の方が伝わりやすいと思ったから文字といったんだけど、

概念的には、文字というより音符なのよ。

その頃の言葉は、はっきりとしたものじゃなくて、単純な音の高低で話をしてた。

きっと、いまのあなた達がきくと、何か歌ってるのかな?っていうふうに聞こえると思うわ。

その音の高低を書いたのが、そのカタカムナ文字と言われてるものなの。」


でも、どうしてそのじょうもんの頃の文字?音符?が紙に残されてたの?

何かずっと昔から紙?の巻物としてどこかの神社に御神体?として祀られてたとか?

「石や洞窟の壁などに書かれていたものを誰かが書き写したんじゃないの?

たくさんの人がそこには関わっているから、誰が何をしたかはいまここではわからないけど。

そしてね、その文字、書きものと神社や神さまはまったく関係ないの。

神さまや神話とごっちゃにしてしまうと、書かれている内容がまったくちがうものに

なってしまうから気をつけてね。

まぁ、いまその音符を正確に読める人はいないと思うけど、クイズ?、古代のロマン?として

楽しむのは良いとは思うけどね、そこに過度な意味合い(特に宗教的な)を

持たせない方がいいと思うわ。


ただ、波動エネルギーのことを知っている人たちが、それを次の世代に伝えるために

残した音符だってことくらいのことでいいと思うのよ。」


う~ん、何かわかったようなわからないような気分だけど、なんかわかった気がする(笑)

今日はこれ以上はムリかな(苦笑)・・・ありがとう、さくやさん!

「あなた達をこころから愛してるわ~~」


私たちも愛してるよ~~・・さくやさ~ん^0^



(ここまで)


カタカムナ文字は音符であるという説明を聞くと、今まで行われてきたカタカムナの

研究については見直しが必要かもしれないと思いました。

なぜなら、これらの研究には音符という概念がなくすべて文字として何らかの意味づけを

しようとするところに無理があるだろうと思うからです。

音符だとすると個々のカタカムナ文字に細かい意味がなく、それぞれのカタカムナ文字を

つなぎ合わせてイメージを伝えるような形になるのではないかと思います。

ドレミソラシドという音階を使ってドレミと楽器を鳴らせば明るいイメージの音の流れに

なります。それを何になぞらえるかは縄文時代に戻ってみないとわかりませんが、当時

次第にテレパシーが使えなくなりつつあるときに発案されたとするなら、テレパシーを

補完する意味合いがあったことでしょう。


和歌なんかそんな感じですね。





こんな感じで会話されたらそれこそ時間ばっかりかかって仕方がないでしょう。

だから、使われ方も今とは全く違ったものだったろうと思います。

そして、そこに神社とか宗教的な意味合いを持たせてはいけないということにも

注意すべきだろうと思います。





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