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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:テラ(地球)は旅行先なのです・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:テラ(地球)は旅行先なのです・・・ 」




(ここから)


イタリアから日本に帰る日、ローマの空港に着いて飛行機のチェックインをした時

なんかさみしいなぁ~~って思ったんです。

すごく疲れたから早く日本に帰りたいって気持ちと、もう少しイタリアにいたいという

気持ちがごっちゃになって複雑な気分になりました^^;

旅行から帰るときっていつもこんな感じになるんですよねぇ~~・・



でね、今回も、あ~、終わっちゃうのかぁ~~・・もっと遊びたかったなぁ~~・・

って思ってた時、フッと唐突もなく・・死ぬときもこんな感じなのかなぁ~~って

思ったんですよ^^

そしたらね、これも突然アシュタールが・・・


「そうですね、そのような感じです」・・って(驚)


やっぱりそうなの?アシュタールぅ~~^0^



「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

身体を脱ぐということは、本来のところに帰るということです。

あなた達は身体を脱ぐということは、どこか違うところへ行くことだと教えられて

しまっています。


身体という物質を持ってテラ(地球)にいることが本来の形?本当の家?だと

思わされてしまっています。

テラが家で、身体を脱ぐと家からどこかへ行かなければいけなくなる。

家を失い、放浪の旅に出なくてはいけない・・そのような悲壮感を

持ってしまっているのです。


そうではありません。

反対なのです。

本来の家(帰るべきところ)があって、あなたはテラに旅行(遊び)に来ているのです。

テラは旅行先なのです。


だから、大丈夫なのです。

行先も分からず、家から出なければいけないのではなく、もともとの家に帰るだけなのです。


旅行先でたくさんの方と会い、楽しい経験をして、たくさん遊んだのでそこから離れるのは

少しさみしい気持ちがするかもしれませんが、それもひと時のことです。

家に帰れば楽しい記憶としてまた楽しむことが出来ます。

・・でも、それもひと時のことで、またあなたは次の遊び場を探し、そこで何をしようかと

ワクワクするのです。

そんなにいつまでもテラでの旅行の記憶を楽しんではいません。

(いつまでも、テラでの出来事を懐かしんだり、出会った人々のことを考えたりすることは

ないということです)



そして、これは余談になりますが・・

身体を脱ぐときから、ほとんどの方は執着をなくします。

執着をなくすというのは、生きることに執着しなくなるということです。

執着しないので、死ぬことが怖くなくなるのです。

分かりますか?


死にたくない、死にたくない・・と思うから、死を怖れ、死を遠ざけようとするのです。

旅行先で家に帰る日を嫌がっているのと同じです。

でも、家に帰る日が来れば、ちょっとさみしいなとは思いますが、帰ることにもまた

楽しみをおぼえますね。

そのような感じで、身体を脱ぐ頃になると、何となくこの世(テラでの生活、生きること)

への執着がなくなり、気持ちよく帰ることが出来るのです。


見た目には苦しそうにしていても、脳内の快楽ホルモンが出ていますので本人は苦しく

ありません。

そして、同時に生きることへの執着もなくなっていますので、ジタバタすることも

ないのです。

もし、亡くなろうとしている方がそのように見えるとしたら、それは見ている人の

思考が恐怖などでいっぱいになっているのでそう見えるだけなのです。


亡くなろうとしている方は、とても静かです。

ですので、泣いたり、悲しんだりしないでください。

またね・・という気持ちで、空港で見送るように軽く見送ってあげてくださいね。


話がそれましたのでもとに戻しますが・・

あなたはテラに旅行にきているのです。

そこで、いろんな体験をしたいと思っているのです。

ですから、テラにいる間に出来ることは、出来るだけしてくださいね。

食べたいものがあれば満足できるまで食べ、したいことがあれば気持ちがすむまでして、

見たいものがあればどんどん身に行ってください。


旅行先でしか出来ないことがあります。

旅行先で我慢する必要はないのです。

旅行を目いっぱい楽しんでください。

そのために、旅行に来ているのですから・・


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)



せっかく地球に来たんだから精一杯楽しもなきゃ損!

と、思えるかどうかですね。


最近、芸能人の方が相次いで亡くなっていますが、こうしたニュースもテレビで

放映されると「死」そのものがこの世の終わりみたいな印象を与えますね。

本当はそれで終わりではないんですが、「死後体験」をなされた方以外は

「死」はすべての終わりととらえている方が多いだろうと思います。

そのため、今生きていることに執着し穏やかに死を迎えられず、そのまま心の

葛藤を持ち続けあの世に旅立ってしまいます。

そして、そこにあるのはもしかしたら旅立ってもこの世ににいるように感じて

その後の意識体で存在する自分を意識しているのかもしれないのです。

こうした例は死を元の世界に帰るという感覚を持ち合わせていなときでしょう。

それでも、生前から死は終わりでないという感覚を持っているなら静かに元の

世界に戻れることでしょう。

そして、戻ってからは今回の旅行はこうだったああだったと振り返りながら

次はどこへ旅行に行って新しい体験をしようかとワクワクしながら待っている

自分がそこにいることを発見するかもしれませんね。


思うに、この物質世界には無数の世界があり、様々な文明、様々な人種や生命体

そして姿かたちは千差万別であり、必ずしもヒューマノイド型ではないかもしれません。

さらに時間はあらゆるタイムラインにある世界が存在します。

だから、戻った時にまた地球での体験をしたいと思えば、過去の江戸時代に生まれたり

未来の地球に生まれたりすることもあるでしょう。江戸時代の中期に生まれればそこから

新しい人生が時間を持って動き始めます。また、江戸時代とは言ってももしかしたら

将軍は徳川家康ではなく明智光秀の家系かもしれません。起こった歴史が異なる江戸時代

ということになります。

まあ、この無数にある世界には何でもありでしょう。

あるいはまったく異なる次元へ行くかもしれませんね。

ただ、行けても+1次元くらいかもしれませんね。元の世界に戻ったとしてもそのソースの

体験してきた内容に応じて次の次元が制限されているような気もします。

それとも、遥か高次元の世界も体験できる??いやないと思いますが・・・。

どんなことになるのかは亡くなってからのお楽しみというところでしょうか(笑)。




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