世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:名前ってね・・・」 [アセンション]
世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:名前ってね・・・」
(ここから)
ちょいちょい話題になる夫婦別姓の問題ですが・・
どうしてみんな名前にこんなにこだわるのかなぁ~~・・って思うミナミなのです。
結婚すると、必ずどっちかの姓を名乗らなければいけない・・というかほぼ女性が
男性の姓を名乗るのが常識になってる現状・・私、自分の名前が大好きなので、
前に結婚してた時はいつも違和感を感じてました・・どうしても、新しい名前(姓)
になじめなかったんです。
だから、夫婦別姓が制度になることをすごく待ってました・・
その前に離婚して元の名前に戻っちゃいましたけどぉ~(爆)
同じ姓じゃなきゃ何か問題があるのかなぁ~~??
そこんとこどうなの~?教えてさくやさ~ん
「名前ってね、そもそも個人のエネルギーを特定するためのものなのよね。
さくやさんってあなた達は私を呼ぶけど、私にはそもそも名前は無いの。
私は私の個性のエネルギーがあるだけ・・エネルギーで存在している世界では
その個性のエネルギーを感じて、その存在を認識しているのよ。
あ~、このエネルギー(雰囲気)はこの存在ねって感じ。
でも、エネルギーをそこまで認識出来ないあなた達は、名前という認識方法
を使わないとなかなか難しいから、一応名前を使ってるだけなの。
最初に名前というものが出来たのはそういう経緯からなの。
でもね、その名前というエネルギーの認識方法だけが最近になって
一人歩きしてしまったの。
所有という方向へね・・日本では特に明治維新後からね。
江戸時代には庶民は苗字(名字)は使わなかった。
個々の名前だけで十分だったの。
いまのような家制度がしっかりと制定されたのは明治維新以降だから。
江戸時代は封建制で家に縛られ、個人の自由などなかったというのは
庶民にはないの。
それは武士や公家など一部の支配階級だけの話。
しっかりとした戸籍などの制度が出来たのは明治維新後だから。
庶民たちを管理するため(税金などを徴収するなど)に戸籍が便利だったのね。
だから、江戸時代は庶民には必要なかった苗字(名字)を明治になってから
全員に使わせるようになったってこと。
それから庶民たちも一部の支配者たちの概念である家族の一員は家族の
所有というような考え方になってしまったの。
家族ありき、組織ありき・・で個人が軽んじられるようになっていったの。
家という組織になったとき、個人はその所有物と化すの。
苗字(名字)というのは、その概念ね。
○○家の当主、○○家の長男、○○家の嫁・・この概念になったとき
個人のエネルギーは消えてしまう。
個人ではなく、組織の一部としてカウントされてしまうということ。
そういう考え方をしている人にとっては、苗字(名字)はとても大切なものと
なるわけ。
個人のエネルギー、名前が主となってしまうと、組織の統制が取れなく
なってしまうと不安になるから。
組織の中に人がいるのではなく、感性の合う人たちが集まって出来る
組織ならば、ひとつの統制された名前は必要ないのよ。
組織ありきになってくると、統制された名前が絶対になってくる。
家制度という組織が大切だと思う考え方だと、苗字(名字)は絶対に必要となる。
でも、家制度という概念で家族になるのではなく、感性があって一緒に
いたいと思う人たちにとっては苗字(名字)はどうでもいいことと思える。
それだけのことなの。
どこに価値観を置くか・・それによって見るものも変わってくるし、
考え方も変わってくる。
どちらを選ぼうとその個人の自由だと思うけどね。
でも、家族、結婚などの価値観が変わってきているのは本当ね。
価値観って言うのは、その時代に生きている人によってどんどん変わって行くの。
変化、進化していくものなのよ。
変化すること、進化することに抗えば抗うほど辛くなっていくわ。
臨機応変に変化、進化していけばいいと思うんだけど。
宇宙に変化しないものは無い。
変化するからこそ、安定するんだから。
あなたたちをこころから愛してるわ~~」
ありがとう、さくやさん!
私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^
(ここまで)
確かに江戸時代に人たちは特に庶民は「たっちゃん」「寅吉」とか「お富さん」
「おふうさん」などと名前だけで登場しているのがドラマなんか見ていても
わかりますね。だから、私なんかどうして名字がないんだろうと不思議に思って
見ていました。
でも、かっては今のような1億を超えるような人口ではないし、人口密度も
さほど高くなかったので、同じ名前であっても「何とか村のお富さん」で十分
判別できていたと思います。年齢も違いますしね。
だから、今は名前だけで区別するのは難しいので、やはり名字は必要だと思います。
本当なら夫婦別姓でも構わないのだろうと思いますが、いろんな場所で不便を
感じるという事はあると思います。
互いを知っている人なら別姓でもわかりますが、知らない人だと「えっ!結婚
していたの?」などと誤解されてしまう可能性もありますからね。
ただ、名字を持つに至った経緯は知っておいた方がいいだろうと思います。
それが支配者の道具だという事も含めてです。
(ここから)
ちょいちょい話題になる夫婦別姓の問題ですが・・
どうしてみんな名前にこんなにこだわるのかなぁ~~・・って思うミナミなのです。
結婚すると、必ずどっちかの姓を名乗らなければいけない・・というかほぼ女性が
男性の姓を名乗るのが常識になってる現状・・私、自分の名前が大好きなので、
前に結婚してた時はいつも違和感を感じてました・・どうしても、新しい名前(姓)
になじめなかったんです。
だから、夫婦別姓が制度になることをすごく待ってました・・
その前に離婚して元の名前に戻っちゃいましたけどぉ~(爆)
同じ姓じゃなきゃ何か問題があるのかなぁ~~??
そこんとこどうなの~?教えてさくやさ~ん
「名前ってね、そもそも個人のエネルギーを特定するためのものなのよね。
さくやさんってあなた達は私を呼ぶけど、私にはそもそも名前は無いの。
私は私の個性のエネルギーがあるだけ・・エネルギーで存在している世界では
その個性のエネルギーを感じて、その存在を認識しているのよ。
あ~、このエネルギー(雰囲気)はこの存在ねって感じ。
でも、エネルギーをそこまで認識出来ないあなた達は、名前という認識方法
を使わないとなかなか難しいから、一応名前を使ってるだけなの。
最初に名前というものが出来たのはそういう経緯からなの。
でもね、その名前というエネルギーの認識方法だけが最近になって
一人歩きしてしまったの。
所有という方向へね・・日本では特に明治維新後からね。
江戸時代には庶民は苗字(名字)は使わなかった。
個々の名前だけで十分だったの。
いまのような家制度がしっかりと制定されたのは明治維新以降だから。
江戸時代は封建制で家に縛られ、個人の自由などなかったというのは
庶民にはないの。
それは武士や公家など一部の支配階級だけの話。
しっかりとした戸籍などの制度が出来たのは明治維新後だから。
庶民たちを管理するため(税金などを徴収するなど)に戸籍が便利だったのね。
だから、江戸時代は庶民には必要なかった苗字(名字)を明治になってから
全員に使わせるようになったってこと。
それから庶民たちも一部の支配者たちの概念である家族の一員は家族の
所有というような考え方になってしまったの。
家族ありき、組織ありき・・で個人が軽んじられるようになっていったの。
家という組織になったとき、個人はその所有物と化すの。
苗字(名字)というのは、その概念ね。
○○家の当主、○○家の長男、○○家の嫁・・この概念になったとき
個人のエネルギーは消えてしまう。
個人ではなく、組織の一部としてカウントされてしまうということ。
そういう考え方をしている人にとっては、苗字(名字)はとても大切なものと
なるわけ。
個人のエネルギー、名前が主となってしまうと、組織の統制が取れなく
なってしまうと不安になるから。
組織の中に人がいるのではなく、感性の合う人たちが集まって出来る
組織ならば、ひとつの統制された名前は必要ないのよ。
組織ありきになってくると、統制された名前が絶対になってくる。
家制度という組織が大切だと思う考え方だと、苗字(名字)は絶対に必要となる。
でも、家制度という概念で家族になるのではなく、感性があって一緒に
いたいと思う人たちにとっては苗字(名字)はどうでもいいことと思える。
それだけのことなの。
どこに価値観を置くか・・それによって見るものも変わってくるし、
考え方も変わってくる。
どちらを選ぼうとその個人の自由だと思うけどね。
でも、家族、結婚などの価値観が変わってきているのは本当ね。
価値観って言うのは、その時代に生きている人によってどんどん変わって行くの。
変化、進化していくものなのよ。
変化すること、進化することに抗えば抗うほど辛くなっていくわ。
臨機応変に変化、進化していけばいいと思うんだけど。
宇宙に変化しないものは無い。
変化するからこそ、安定するんだから。
あなたたちをこころから愛してるわ~~」
ありがとう、さくやさん!
私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^
(ここまで)
確かに江戸時代に人たちは特に庶民は「たっちゃん」「寅吉」とか「お富さん」
「おふうさん」などと名前だけで登場しているのがドラマなんか見ていても
わかりますね。だから、私なんかどうして名字がないんだろうと不思議に思って
見ていました。
でも、かっては今のような1億を超えるような人口ではないし、人口密度も
さほど高くなかったので、同じ名前であっても「何とか村のお富さん」で十分
判別できていたと思います。年齢も違いますしね。
だから、今は名前だけで区別するのは難しいので、やはり名字は必要だと思います。
本当なら夫婦別姓でも構わないのだろうと思いますが、いろんな場所で不便を
感じるという事はあると思います。
互いを知っている人なら別姓でもわかりますが、知らない人だと「えっ!結婚
していたの?」などと誤解されてしまう可能性もありますからね。
ただ、名字を持つに至った経緯は知っておいた方がいいだろうと思います。
それが支配者の道具だという事も含めてです。
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