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やっぱり世界文明の起源は日本だった [アセンション]

やっぱり世界文明の起源は日本だった



かなりの長文になりますが、わかりやすく説明されていますので転載しました。

(ここから)

1、日本で世界最古の文字が発見された

今世界の考古学会が,日本で文字が書かれた"ペトログラフ(岩絵)"が発見されたことに注目しています。
米国文化学会やカナダ文化学会、オーストラリア岩石芸術学会等では「文明の発祥地は日本ではないか」と響き立っています。


そこで、「世界文明の起源は日本なのではないか?」という謎に迫ります。


先ず、日本には超古代の神代文字で書かれた「カタカムナ文献」があり、それによると10万年以上前の超古代に、カタカムナ文明が兵庫県"六甲(カバラ=生命の木)"山近辺にあったことが、戦前、天才物理学者・楢崎皐月(口封じのためか後に暗殺された)によって明らかにされています。



そして、近年の調査では、この兵庫県神崎郡神河町と朝来郡生野町にまたがる八幡山には、空海によって四国・剣山から移置された世界中心の象徴で、ムー帝国皇帝の証「契約の箱アーク」があると言われています。

また、創建1万5千年以上とされる熊本県阿蘇郡にある「日の宮幣立神宮」の御神体「日文石板」は、
約20~30万年前のものですが、その表には「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。


この意味は「大量の糸の原料となる真麻欄(まおらん)を採取し、それから取った縷(細い糸)を紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は彼方に退散する。神様がくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ」となるといいます。


そして、これと同じ文言が和紙に書写されたものが、古代ユダヤ10支族・物部氏の拠点である奈良の石上神宮、また伊勢神宮よりも権威があったとされる大分の宇佐神宮にも奉納文といて保管されています。


以上に加えて、全国約800カ所からは

「阿比留草文字」
「出雲文字」
「秀真文字」
「守恒文字」
「神山文字」
「アイヌ文字」等

約40種類のペトログラフが発見されていますが、注目に値するのは、海外で見つかったペトログラフが絵画中心なのに対し、これらは文字が中心である点です。


国学者の平田篤胤が「漢字伝来以前に使われた我が国の古代和文字がある」と指摘しているのは、このような神代文字のことだったのです。







2、ペトログラフに見るムーの記憶

一方、このペトログラフからはムー文明の痕跡が見られます。まず下関市彦島や角島、北九州にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島海底のものと類似する海底神殿跡やペトログラフがあることから、主に北部九州から近畿にかけてムーの生き残り「メネフネ族」がいたことが推測されます。

下関市教育委員会と九州大学の調査によると、彦島杉田丘陵のペトログラフには、「遠い世の父母より世に生まれ交わり、子々孫々栄え来たり。地の都となる世の来るまで、敵を倒し、我らを助け、突き進み、世も昼もみそなわす我らが日の神」と書かれていて、

また、角島の対岸にある特牛(こっとい)は、"長門国の田布施"といわれる"特別な土地"で、シュメール語の"コッテ=神に捧げる牛"が転訛したものです。

これらの痕跡とムー文明を結びつける傍証としては、ニュージーランド北方のポナペにある、1万2千年前の「ナンマドルの海底神殿遺跡」です。またハワイやイースター島でも古代遺跡が発見されており、上記日本の遺跡と類似している事から、太平洋上に大陸があった事を推測させます。

これ以外にも滋賀県安曇川町のプリテニ文字、沖縄県のムーの石板十二枚、熊本県人吉市のサラムー(ムーの王)の磐座等がありますが、
ポイントは、これらと同形の遺跡やペトログラフは、韓国、台湾、中国では全く見つかっていないことです。






3、二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」

そして、以上のペトログラフや後に触れる"七大奇書"といわれる古史古伝によると、大和王朝と神武天皇以前にも二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」などの"大和先行王朝"や、


初代・天主天皇(天之御中主大神)、
高木天皇(高御産巣日神)、
神巣天皇(神産巣日神…以上"造家三神")、
大綱手彦天皇、
弥広殿造天皇、
造化氣万男身光天皇、
富金足中置天皇、
天日嗣天皇など
数百代にわたり天皇が存在したとのことです。


例えば、豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を集め記録した「上記(うえつふみ)」によると、
「鵜芽葺不合王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」
と有り、

これらは、大分県国東半島で発見された巨石上のペトログラフ「豊国文字」にも記録されています。

また、秦の始皇帝が不死の薬を求めて日本に派遣した物部系古代ユダヤ人徐福が、富士山麓で書き残した「富士宮下文書」をもとに、三輪義煕が編纂した「神皇記」によると、


神武以前に先行王朝が三つあり、
初めは富士山麓にあった「富士高天原王朝」で、

「大陸から九州方面に大軍が押し寄せて来たため、附地見島(九州)に海佐知毘古を元帥として送り、海軍を編成、王朝も阿蘇切枝間に移し千五百日目に全島の鎮圧を完了した(阿蘇豊国王朝)」とあります。



ただ「その後、近畿地方で長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)が反乱を起こしたため、日高佐野王が海路から久真野に上陸、湯野崎水門近くの二高の宮を行宮として賊軍を討ち、大和国橿原宮で即位し「鵜芽葺不合王朝」が始まった」ということです。



また、「鵜芽葺不合王朝」と相前後し、あるいはその統治下には、
北から
「荒覇覇吐王国」
「日高見王国」
「邪馬台王国」
「吉備王国」
「出雲王国」
「不弥王国」
「投馬王国」
「伊都王国」
「熊襲王国」
が存在し、最終的に「大和王朝」に統一されたと書かれています。


ともあれ、とりわけ驚かされるのは、冒頭に述べた「カタカムナ文献」には、「宇宙の真理"マカバ"」や宇宙の歴史、生命体の本質、さらに超科学テクノロジーについて述べられていることで、近年、その研究が急速に進められています。






3、世界に分布した日本人

ところで、日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、
この熊本県芦北地方には「曽畑式水人(海洋民族)がいて、約6500年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており、さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いといいます。


この説は、米国ブロンスウィック大学のレ・クイナー教授も唱えており、「アメリカインディアンが日本人と同じ習俗、語彙、顔を持つ事から、彼らの多くは太平洋の西からきたモンゴロイド海洋民族である」と主張。これには、スミソニアン博物館やハワイ大学等も同様の見解を発表しています。



一方、スイスの考古学者デニケンがエクアドルの古代地下都市跡で日本の縄文土器と"アンデスの黄金版"を発見、これを出雲文字で解読した結果、「これなる金の板にイサクとヨゼフ記す

ここにわがクルの宝を集めしめ、後の世に伝えて礎たらしむ。ヤファウエを我らの神と崇めよ」となった事などから、「マヤやインカ文明を作ったのも、日本の古代海洋民である」と公表しています。ここにいう"ヤファウエ"とは、言うまでもなく古代ユダヤ教の絶対神です。


一方、インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡で、日本の神代文字を発見している日本探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から
「古代朝鮮も日本と同じ文字を使用しており、少なくとも約6000年以前から日本にあった豊国文字を参考にして作った」と指摘しています



また、愛媛県越智郡の樹ノ本古墳から出土した漢代の鏡と、国立博物館にある漢代の「単圏銘帯鏡」にある漢字を出雲文字や豊国文字で解読したところ、「ニニギキヲタタエマツル」と「ヒツキヲアタエム」と読めた。
「ニニギ」とは"ニニギノミコト"=天皇であり、「ヒツキ」とは王権を表しています。


さらに、3000年以上前の中国・殷の甲骨文字と「阿比留草(アヒルクサ)文字」には44の類似文字があり、「阿比留草文字」が30万年前の文字である事からして、甲骨文字は「阿比留草文字」の草書体であると結論づけています。


これらを裏付ける様に、約2000年前に書かれた中国の「契丹古伝」によると、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前をト字、ト字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」とあります。

インドでも日本の神代文字が見つかっています。インダス文明の遺跡モヘンジョダロにある仏塔の刻印をトヨクニ文字で読むと「ユニコーンカムイ(ユニコーン神)」と読め、
"象の洞窟"の入り口付近でも「阿比留草文字」と豊国文字を発見、風化が激しい中「……マツラバヤ(祭らばや)」と。


更に驚くべきことに、"現代の書聖"といわれ神代文字研究家でもある安藤妍雪氏によると「地球上の一切の文字の源はカタカナで、神の御働きに由来する象神名をアイウエオ、カキクケコなどのカタカナ(カタナムナ文字)で表したものを、後年、弘法大師空海が48の平仮名に表現し、今日に至っている」

また、「キリストが日本で習得し故国に持ち帰ったのが「イスキリ文字」、釈迦が持ち帰ったのが「梵字」そして「サンスクリット語」となり、これらがローマ字になった」といわれています。






4、地球の歴史と民族の移動

ところで、一般に日本で最も古い文献と言われている「記紀(古事記、日本書紀)」のネタ本になったのが物部興久が編纂した「先代旧事本紀」、稗田阿礼や太安万侶、大伴能直らが編纂した「皇王日継」
「古語拾遺」
「竹内文書」
「上記」
「富士宮下文書」
「九鬼文書」
ですが、


それらによると、世界が一つの大陸だったころ、天(シリウス)から日本に”ニニギノミコト”=天之御中主大神(初代天皇)が降臨して国を開き、世界を統治し、
また日本人から
白人、
黒人、
黄人、
赤人(ユダヤ人ら)、
青人(スカンジナビア人)ら
世界の”五色人種”が分かれたということです。


一般に、日本には古くから古代ユダヤ人など様々な民族が流入した多民族国家だったといわれていますが、実は、これらの海外からの渡来民族は、元々は日本で生まれ、日本から分布して行ったのが真相なのです。


そこで、石器時代以前の太古の地球の歴史を紐解くと、世界はその中に幾つかの湖が存在する一つの大陸でした。ところが、地球の自転による遠心力で内部にあるマントルと水分が外側に押しやられ、表層にひび割れが生じ8つの大陸に分かれます(その結果、地球内部は空洞になっている?)



現在の五大陸と、ムー(太平洋)、アトランティス(大西洋)、レムリア(インド洋)です。
更に内部からの圧力で山岳地帯に盛り上がるところと、その反動で海中に埋没するところができました。


そこにある日、太陽フレアからの強烈な熱風が吹き、太陽と地球の間に位置していた月にあった大量の水が、連日の大雨として地球に注がれ、"ノアの大洪水"が起こります。この事実は聖書だけでなく、シュメールのギルガメシュ叙述詩にも同様の記載がされています。



更に地球は氷河期に入り、日本列島に居住していた原始日本人(ムーの生き残り)は、食料を求めて、武器も持たず、西へ西へとムー時代の王権の証である"契約の箱アーク"と"三種の神器"を携えて移動して行きました。
 


しかし、既にそこには黄河文明やインダス文明、メソポタミア文明の社会があり、先住民との間で摩擦が生じました。

流浪の旅の果てが最果ての地"カナン(現在のパレスチナ)"でした。そこでもよそ者でしたが暫くは安寧の日々が続きました。が、やがてローマ帝国の圧力もあってその地を追い出されます


 
結局、最後に向かった地が生まれ故郷でもある、東の果ての"伝説の故郷"日本だったのです。
これが
海部氏、
物部氏、
天部氏、
忌部氏、
斎部氏、
蘇我氏、
秦氏ら
古代ユダヤ10支族の日本上陸で、それは日本への”里帰り”だったのです。
 

実際、ジンギスカンやフビライの例にもあるように、
騎馬民族等異民族の侵入によって既存の王朝は根絶やしにされるのが常ですが、物部氏、秦氏らの渡来に際し、先住民の殺戮等があった痕跡はありません。
それは聖櫃アークやユダヤ三種の神器が、同族同根である証拠として示されたからです。



その証拠に、日本人の40%に見られるY染色体DNAにおけるD系統(ハブログループD)は、
世界中に散らばった古代ユダヤ10支族とその末裔であると言われるチベット人や中南米のインディオなどに見られるE系統と同類であることが近年証明されています

(「日本とユダヤ運命の遺伝子」久保有政)



一方、シュメール遺跡によると、原始日本人の誕生と世界への分布の前後、三千年周期で地球に接近する「惑星ニビル」から、生命体アヌンナキが送り込まれ、金の採掘をするように遺伝子操作された人類も生まれました。
これが主に後のアシュケナジー・ユダヤ人(金融偽ユダヤ人)と言われています。






5、古代ユダヤとの関係を示す傍証

その他、日本の古代史には多くの謎が隠されていますが、伊勢神宮の内宮と外宮は旧約聖書と新約聖書の関係にあって、外宮の下には旗竿に巻きついた青銅の蛇が3回半巻きついた形で安置されています。イエス・キリストの罪状板は伊雑の宮の下に安置されています。

また、仁徳天皇陵は古代ユダヤ三種の神器の”マナの壺”の形ですが、
丸い部分が女性性、角い部分が男性性を表し、両者で男女という二元性の融合、つまり、宇宙の真理”マカバ”を表しています。


さらに、伊勢神宮の内宮の地下では、キリストの血が付いた”聖十字架”も発見されています。

伊勢神宮で先祖代々宮大工をしている人の話では、かって西宮市に「萬谷」と称する明治天皇の御落胤がいて、その人の知人(元中野学校出身特務将校)と共に神殿に戦争直後入って見たとのこと。



これを裏付けるように、エルサレム宮殿の門には「十六菊花紋」が、一方青森県の三内丸山遺跡からは「六芒星(ダビデの星)」、同じく青森県新郷村(旧戸来村…ヘブライ村)にはキリストの墓が見つかっています。



また、古代史研究家の上森三郎氏によると、兵庫県にある日本のピラミッドとされる八幡山近くの埴岡の里では、1万3千年前の福本遺跡とともに、鶴と亀(玄武)の巨大な地上絵と十六菊花紋に入った旧石器時代の瓦が発見されたということです。





6、ピラミッド(日来神宮)は日本が発祥地?

ところで、世界的なフランスの考古学者J・ヴァレーン博士は、エジプトのピラミッドを研究、興味深い見解を発表しています。「この建造物は、地球上の大聖者が他の進化した天体の神々と交信するための場、つまり、地球よりも遥かに進歩した神人と、


人類を救済するために地球に降臨した天孫族をつなぐ神殿である」。さらに、東方に向かって座するスフィンクスの左足の下を掘り下げ、石碑を発見。そこには「光は東方より来る。東方の一小国より、全人類の滅亡を救う大救世主が現れる」との記された碑文を発見,解読しました。


ちなみに、皇祖皇大神宮に伝わる竹内文書には、
「3月16日、吉備津根本国に詔す。大綱手彦(鵜芽葺不合王朝12代弥広殿作天皇(イヤヒロトノツクリ)の叔父)、天皇霊廟、亦名メシア、日の神、月の神、造主神、日来神宮」とあるが、
この「日来神宮」が世界最古のピラミッドを指すとされています。


そして実際、青森の黒又山、岩手の五葉山、富山の尖山、長野の皆神山、京都の日室ヶ獄、徳島の剣山など、聖地とされる兵庫県の八幡山を中心に16等分、つまり、16菊花紋の角度で分割された方向にピラミッドが存在しています。






また、同じく竹内文書によると「上古第二代・造化氣万男身光(つくりのしきよろずおみひかる)天皇の時、15人の息子と1人の皇女を16の国に遣わし、日本を中心にした16放射の形を作って定め、天皇の十六菊花紋とした」とあります。 
竹内文書;https://www.youtube.com/watch?v=EuL_Adz4jUU#t=127









7、モーゼは"神武天皇"、キリストは"蘇我馬子 
 
さて、ここで日本の国旗を見てみましょう。日の丸を国旗として正式に定めるよう要請したのは島津氏。
島津氏の初代は島津忠久こと惟宗忠久、惟宗秦氏で、

また毛利氏は物部守屋(モリヤ)氏の末裔、
源氏は司馬遼太郎氏によると”源新羅三郎・・”という半島経由突蕨系騎馬民族の末裔です。


一方、キリストの職業は大工。大工と言えば石工、石工は世界の創造を表す「絶対神ヤファウエ」、
つまりキリスト自身が石工組合”フリーメーソン”なのです。フリーメーソンといえば、直角定規とコンパスがシンボルマークですが、それによって描けるのは日本の国旗”日の丸”です。


以上の歴史的痕跡は何を意味しているのでしょうか?それは、改めて強調しますが「日本から世界が始まった」ことを意味しています。

他方、モーゼやキリストと日本の関係はどうなっているのか?結論から言うと、
モーゼは"神武天皇"で、
キリストは"蘇我馬子=「馬子屋で我蘇る」"なのです。
青森県にあるキリストの墓は、代わりに処刑された弟・イスキリのものです。



竹内文書によると、キリストは18歳のとき来日、皇祖皇太神宮の神主・武雄心親王から5年間、歴史や天文学、神業などを学び、天日嗣天皇から「向こうで死んではならぬぞよ」との命を受けエルサレムに戻った。が、迫害に会い再び来日、百十八歳まで生きたと書かれています。  


一方、モーゼですが、神武天皇の正式名称は「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラミコト」ですが、
ヘブライ語では「カム・ヤマトウ・イブリ・ベコ・シュメロン・マクト」と発音し、意味は十支族の一つのエフライム族の王=サマリアの王です。


また、ヘブライ語の「モー・シェ」は、エジプト語では反対に読み
「セ・モー」→「ゼ・モー」
「ジ・ムー(ムー人)」
「ジンム」と転訛したものと、
イスラエルのユダヤ民族研究家ヨセフ・アイデルバーグ博士やアビグドール・シャハン博士が指摘しています。


モーゼは物部氏として日本に渡来し理想の国づくりを目指しますが、北イスラエルと対立していた、後から来た南イスラエルのキリストらユダ族(蘇我氏)と対立、抗争になります。その結果、物部氏は破れ、一部は各地に分散、"山窩"となり"田布施"などに隠れ住みました。


そして、混乱した日本国内を統一するために、自ら"人柱"となって聖地・兵庫県の八幡山近辺の婀月山に入定、"国譲りの儀"を果たし、統一大和王朝を打ち立てたのが邪馬台王国(=鵜芽葺不合王朝)の女王・卑弥呼だったのです。





8、秦氏の渡来

その後、日本では第15代応神天皇のとき、最後の古代ユダヤ十支族・秦氏が渡来します。
この秦氏については、「騎馬民族説」の発端となった一族ですが、秦始皇帝の末裔と言われている古代ユダヤ人で、秦朝滅亡後は現在のウイグル近辺に「弓月」と言う国家を作っていました。


が、朝鮮の「好太王碑碑文」によると、漢王朝からの万里の長城造営などの苦役を強いられたため朝鮮半島に逃れ「秦韓」と呼ばれ、その後,朝鮮半島でも圧迫を受けたため、「弓月」時代に日本の第14代仲哀天皇の厚遇を受けた功満王の子孫として、


応神天皇の時、100万人から150万人の一団で来日、山渡人(ヤマワタヒト)といわれ、養蚕、治水などの高度な技術をもたらすなど、我国のインフラ整備等に大いに貢献しました。が、その勢力拡大の一方で、先行渡来していた物部、蘇我、先住民族との間で覇権争いが起こり、


秦氏系の中大兄皇子(天智天皇)と藤原氏(藤原鎌足)による蘇我氏追い落とし(大化の改新)や、蘇我・物部系の天武天皇による「壬申の乱」による巻き返し、さらには、これらを引き継ぐ形での南北朝の対立へと、歴史は繋がって行く事となります。






9、歴史の真実が封印された理由

さて、以上の様な日本そして世界の真実の歴史が明らかになると、当然、時の既得権益を持った支配層あるいは覇権国の権威が揺るがされる事となります。そのため、彼ら覇権国は自分たちに都合の悪い"真実の抹消"を図ろうと試みるのが一般的です。

天武天皇や藤原不比等らの行った記紀(古事記・日本書紀)の編纂による真実の日本史封印の理由は、当時、勢力を拡大し、日本へも侵攻の機会を狙っていた唐の脅威から日本を護ることでした。つまり、

もしモーゼやキリストが、彼らの出自である日本に里帰りし、その証としての世界覇権の象徴である「契約の箱アーク」が日本にあるとなれば、覇権国はその歴史的先行性を主張、維持するために、文明発祥国である日本国を侵略、消滅させ、至宝「アーク」を奪いにくる。

これを危惧する日本側では、かような事態を回避するため、"然るべき時"が来るまで真実を封印する。実際、「記紀」の内容は巧みな"神話化"が行われ、オブラートに包まれていますが、随所に真実を解く"暗号"がちりばめられています。

一方、漢字以前にあった日本古来の文字(高度な文明)を封印し漢字を導入したのも、記紀の編纂と同じ文脈で理解できるわけで、唐を刺激しないためのやむを得ざる"対外開放政策"の一環だったといえます。さしずめ、今風にいえば"英語の第二公用語化"といったところでしょう。



また、話を現代に当てはめると、中世以降の数百年間、世界の覇権を握ってきたバチカンや英国王室等の欧米勢力も、彼らを中心にした権威と支配体制を維持するため、「日本人を眠らせておこう」との思惑から、"日本封じ込め戦略"を実行してきたのです。

実際、終戦直後、GHQは仁徳天皇陵を発掘、遺物を回収して行きました。(仁徳天皇陵の秘密)








10、日本を取り戻すことが世界再生への道

ところで、聖書には終末の世に関する不思議な予言があります。「そのとき人の子が偉大な光と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る」とキリストの再臨が予言されており、それが何時、何処で行われるかが世界の注目を集めています。

これに関して、黙示録には「世の終末に日出づる国から天使が現れる」と書かれています。この”日出づる国”とはどこを指しているんでしょうか?それは疑いもなく、ユーラシア大陸の東の端、つまり日本です。そして、天使とは"キリストとモーゼの融合神=国常立尊(クニトコタチノミコト)"なのです

今、世界は大きく変わりつつあります。そしてキリスト=アマテラス(伊勢)とモーゼ=スサノオ(出雲)の二元性の統合=国常立尊の出現と共に、新しい宇宙時代の地球文明が、日本から始まろうとしているのです!日本を取り戻そう!





  
「君が代」のヘブライ語による翻訳。

クムガヨワ=立ち上がれ、テヨニ=シオンの民、ヤ・チヨニ=神に選ばれし者。サッ・サリード=喜べ、人類を救う民として。イワ・オト・ナリタ=神の予言が成就する、コカノ・ムシュマッテ=全地で語り、鳴り響け。

http://www.youtube.com/watch?v=hMlZygKsCgQ#t=13







かごめ唄のヘブライ語訳;

カグメ(誰が護るのか?)
カグノエナカノトリー(固く閉ざされているものを出せ)
イツイディユゥー(箱に安置されてきた神器を取り出せ)
ヤーアカパニシティ(代わりにお守りを作った)
ツルカメスーベシタ(荒野に水を引いて)
ウーシラショーメンダラ(その土地を統治せよ)




さくら唄のヘブライ語訳;

さくらさくらやよいのそらは(神は隠れてしまった。唯一の神が迫害を受け耐え忍んで)
みわたすかぎりかすみかくもか(生け贄となり、くじ引きにされ、取り上げられた)
においぞいずる(すばらしい神の計画である)
いざやいざや(神の救い)
みにいかん(捧げ物が成就した) 



参考文献:

「世界の起源は日本だった(上森三郎)」
「超古代、最先端文明は日本だった(吉田信啓)」
「日本とユダヤ運命の遺伝子(久保有政)」
「日本、日本民族の起源(小谷部全一郎)」
「日本と日本語のユダヤ起源(アイデルバーグ)」
「失われた十部族の足跡(シャハン)」
「光は東方より(山根キク)」


天孫小僧も、以前より上記の記事には注目していました。つまり日本の世界に冠たる歴史的な背景があってこそ、国師の説かれる高度な学説が可能となるのである。原因のないところに結果は現れないと確信するものです。


(ここまで)


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