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破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:成長しなくてもいい・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの歴史ドラマ「アシュタール:成長しなくてもいい・・・」



(ここから)


今日の破・常識!




あなたが成長という名前で追いかけているいるものは 

      すべて砂漠の蜃気楼のようなもの・・・らしい(笑)


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では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。





「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

あなたはどこに向かっているのでしょう?

何を求めてそんなに走り続けているのですか?

あなたの目指している最終地点はどこにあるのですか?

あなた達は、よく成長しなければいけない・・と言いますが、

成長とはどういうことですか?

成長して最終的にはどこに行くのですか?

どこかに行かなければいけない・・このままの私ではいけない・・

常に何かに追い立てられるように生きていくことで

成長出来るのしょうか?

それでは常に自己否定の方向へ向かってしまいませんか?

セルフイメージがどんどん低くなってしまいませんか?


経済的成長と言いますが、どんどん大きくなって

最終的にはどこに落ち着くのですか?

落ち着く場所があるのでしょうか?

精神的な成長もそうです。

どのような人が精神的成長の最終点にたどりついた人なのでしょうか?


すべて幻です。

あなたが成長と言う名前で追いかけているいるものは 

すべて砂漠の蜃気楼のようなものです。

追いかけても、追いかけてもたどり着くことは出来ません。

なぜならそこはただの幻だからです。

幻を追いかけてもいつまでたっても

たどり着くことはできないのです。

追いかけているあなたは、ただ消耗していくだけです。

あなたの中のエネルギーが枯渇していくだけです。


あなたには向かわなければいけない場所はないのです。

今この時を生きるだけでいいのです。

それは怠惰ではありません。

今この時を100%生き切ることが、あなたがテラに転生した目的です。

今この時を100%感じ、体験することが目的です。


あなたは成長するために、生きているのではないのです。

言い換えれば 今この時を真剣に生きていくことが

あなたの成長につながるのです。

矛盾していますか?(笑)

無理やりにでも成長と言う言葉を使うのであれば、

成長は、どこかに行くことでも、誰かになることでもありません。

あなたの体験を増やしていくことです。


成長と呼ばれる作られたモデルケースを目指さないでください。

誰か(あなたを支配、コントロールする存在)が作った、

”ここが目的地です”・・というところを目指さないでください。

・・と言うか、誰も最終目的地は示していませんね。

わざと示さないのです・・いつまでも あなたを放浪させておくために・・

あなたのエネルギーを消耗させるために・・

どこにも最終目的地はありません。


成長するために我慢は必要だという

お為ごかしを受け入れないでください。

我慢することで成長できるなんていう考えはナンセンスです。

それは、あなたを支配、コントロールしている存在達が、

あなたに我慢させるための方便にすぎないのです。

我慢や修行すれば あなたは立派な人になれる・・

なんて言うのは、全く反対です。

我慢などは、ただあなたの中のエネルギーを消耗させるだけです。


幻を求めて重い足を引きずり、

エネルギーを消耗する必要はないのです。

今この時、そこに生きてください。

そうすればあなたの中にエネルギーが戻ってきます。

無限に湧き出てきます。

遠くに探しに行かなくても あなたのエネルギーは

あなたの中から湧いてきます。


成長しなくてもいいです。

どこかを目指さなくてもいいです。

今のあなたが、100%のあなたなのですから。

あなたはすでに100%のあなたなのですから 

幻の100%のあなたを目指して、

幻の目的地へ向かって放浪しなくてもいいのです。

今この時が、あなたの目的地です。

もっと力を抜いて、リラックスして、

今の100%のあなたを楽しんでください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


私も若いころは「成長しなければいけない」という思考にとらわれていました。

主に精神的な成長を求め、様々な宗教書やアセンション関連書籍、あるいはセミナーに

参加したりとしていましたが、確かにセミナーに参加して数日は何か自分が変わった

ような気がしてうれしく思ったりしますが、それも1か月も経てば元に戻ります。

それが普通なのでしょう。何が言いたいかというと戻った普通が本来の姿だという事です。

それ以上にもそれ以下にもなりません。

世間一般の社会的常識や通念、考え方と言ったものが年齢を経て経験を重ねるうちに

身ついてくるので、それを成長とする人もいますが、あまり当てにならないものです。

なぜなら、それらは時代や社会的背景によっていかようにも変わるものだからです。

そこには絶対的普遍的なものはありません。その時代その時代に合ったものが重要視

されているだけです。そこには集団的常識に従うものだけが賢くうまく立ち回れるという

排他的思想が見え隠れするからです。それ以外の考えを持つものを拒絶するからです。

むしろ、そうした社会的常識がどのような背景によって作られ必要とされているのかを

探すことの方が大事なような気がします。

もし、普遍的価値が何かと問われるならばアシュタールが常々語っている普遍的愛が

それに相当するだろうと思います。他者への尊敬と自愛に基づく自立した考えがそれを

もたらします。

そして、自らの持つハイヤーセルフとの一体感を感じられるようになれば自然とその

今という時を過ごす意識の大切さが感じられるようになると思います。








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