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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:寺子屋がいいんじゃない?」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:寺子屋がいいんじゃない?」



(ここから)

お盆休み真っただ中ですが~~^^

お盆時期は、空港は出国、帰国ラッシュで、新幹線は乗車率200%?

高速の渋滞も何十キロとか・・・ニュースで映る人々の顔はみなさん、、

ぐったりと疲れ切った感じ^^;


ホント、いつもいつも思うんですけどね、何でみんなで一斉に休暇を取って

民族大移動しなきゃいけないんでしょうかねぇ~~??

それぞれに自分の希望で休みを取れば、こんなにラッシュの中旅行しなくて

すむのにねぇ~~って思うんですよ。

それに、休みが短すぎる・・長期の休みが取れて5、6日とか?ですか?

外国の1か月近く休むバケーションとは程遠いですね・・どうして他の国は

出来るのに、日本は出来ないんだろう??不思議です。



まぁ、大人だけなら仕事を何とかやりくりして平日?に旅行するとか

出来るけど、子供が学校に行ってたりしたらやっぱり無理なのかなぁ~~・・

だって、学校休ませたら授業についていけなくなったりして困りますよね。

なら、子どもが休みのときって思うのはわかりますが・・・


でも、ホントニュースを見てるだけで共振して私も疲れてしまいます(苦笑)


では、今日はさくやさんからのメッセージをお伝えしますね^^

「あなた達の社会システムに関しては、言いたいことはたくさんあるけどね、

今日はちょっと学校のことについて話したいと思うのよ。


どうして決められた年齢が来ると一斉に同じ学年として学校に通わせなきゃ

いけないのかしら?

6歳になるから、学校に行かせる・・おかしくないかしら?

子どもには、それぞれ個性の違いがあるわよね。

同じ6歳だって、成長の早い子もいれば、ゆっくりな子もいる。


それなのに、よ~いドンで一斉に同じことを要求されたら、子どもはたまった

ものじゃないわよ。

挙句に、競争ばかりさせられて、早い子はいい子、遅い子は困ったものだと

言われるのよ。


ゆっくりな個性の子にとって、これほどひどい環境はないわね。

ゆっくりな個性の子って、ただゆっくりじっくりしたいだけなの・・

能力が劣ってる訳じゃないの・・それはただの個性。

そこをしっかりと見ることなく、ただは早くしろ、早くしろとお尻を叩かれ、遅い

からダメだと言われる・・セルフイメージがどんどん低くなってしまうわよ。


ウサギとカメの話はありえないのよ・・だってあなたの社会はゆっくりなカメを

排除する社会だから。

お話しの中では、ゆっくりでいい、休まず、地道にゆっくりとでも歩いていれば、

ウサギにだって勝てるんだよ・・ということになってるけど、実際は違うわよね。

だって、あなた達の社会ではカメはやる気を失ってしまうから。

ウサギばかりが褒められ、カメは遅い、遅いと言われ続ける。

だから、途中でやる気を失って歩くのをやめてしまうの。

どうせ、自分は遅いからダメなんだ・・何をしても出来ない子なんだって・・

思って、セルフイメージを低くして歩くことさえイヤになってしまうのよ。


じゃあ、ウサギはセルフイメージが高くなるの?って言うと、そうじゃない。

ウサギは、もっと、もっと早く走りなさい・・と急かされ続けるの。

油断してちゃだめよ、もっと早いウサギはたくさんいるんだから・・って。

どんなに一生懸命走っても、一番にならなきゃ褒めてもらえない。

早い子は、早い子でまた早い子同士で競争させられるってことね。

だから、その中でなければダメだと思い込み、セルフイメージが低くなる。


じゃあ、一番早い子はどう? セルフイメージはそのまま高くいられる?

それはまた違うところで競争させられるのよね・・かわいそうに。

走るのは早いけど、走り方がよくないとか、挙句には走るにはまったく関係ない

こと(例えば)耳が短い、・・とかね。

つまらないことで批判?比較?される。

だから、そんなつまらないことでセルフイメージを下げてしまうのよ。


結局、何にしてもいまのあなた達の学校システムは、セルフイメージを

下げさせるためにあるということよ。

セルフイメージを低くし、自信を無くさせ、個性をなくし、偉い人の言う

こと(命令)に従順に従う子を育てるのが目的だということ。



あなた達は、何のために学校に行くの?

何のために子どもを学校に行かせるの?

学校に行かせるのが常識だから? 親の義務だから?

そんなことを考えてるなら、それは思考停止ね。


学校の本来の目的は、生きるための知識を身に着けることでしょ?



江戸時代にあった寺子屋をもう一度見直してみたら?

江戸時代は、90%以上の人が読み書きそろばんが出来た。

これは素晴らしいことなのよ。

身分の差もなく、みんなが読むこと、書くこと、計算が当たり前のようにできたの。

だから、素晴らしい文化が生まれたのよ。


寺子屋は、年齢は関係なかったわ。

その子にあったペースで、いろんなことを教えてたわ。

早い子は早いなりに、ゆっくりのことはゆっくりと・・

だから小さな規模で、たくさんの寺子屋があったの。

ひとり一人の個性を大切にして、その子の得意なことを伸ばすことを大切に

してたわ。

苦手なことを無理やりさせるんじゃなくて、好きなこと得意なことを伸ばす

方向で教えてた。


そして、その子の好きなこと、得意なことをしっかりと見たうえで、仕事を

選んであげていたの(選んであげるというより、仕事を選ぶのはその子で、その

アシスト?をしてあげたのよ)


だから、寺子屋で教わる知識は、仕事や生活に必要なことだけだったの。

いまの学校システムのように、これって大人になってから必要?って思う

ようなことを教えることはなかったわ。

何が必要かは、仕事によって違ってくるから、本当に基礎だけを寺子屋で教え

あとは仕事をしながらその仕事に必要な知識を実際に身に着けていくの。


だいたいねぇ~、学校に行く期間が長すぎるのよ。

朝から晩まで、12年間? 何をそんなに習うことがあるの?

必要のないことまで、ムリにやらせようとし過ぎなのよ。

本当に必要なことだけを習うならば、一日に2,3時間で、3年もあれば充分でしょ。


明治維新までは、寺子屋で十分な知識を得て、そしてみんな自分の好きな

仕事について(一日3、4時間働くくらいで)、十分豊かに暮らしてたわ。

素晴らしい文化を花咲かせてたわ。

寺子屋の教育で、識字率は90%以上、いまのテクノロジーを使っても

出来ないような(釘を使うことなく橋を渡すことが出来るくらいの)技術も

あったの。


また長くなっちゃったけど・・今日は、

年齢で一斉に同じことを教える学校教育を見直してみたら?・・って

言いたかったの(笑)



あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

(ここまで)


どうして6歳になれば小学校に行かなければならないの?

なんて考えたこともありませんでした。

考えてみればそうですね。そうして?という疑問すら持たないまでに飼いならされて

しまっているんでしょうね。


私が小学校に入ったときには前日に「学校に行くんだよ」と話には聞かされていましたが、

どうにも学校に行くという実感がありませんでした。

特に学校に行くという感覚はなく、ただ日常の一コマみたいな感じでした。

だから、私はかなり変わった子供だったようで、ある日なんかは小学校に行ったはずなのに

いつの間にかいない?ということがあったようです。

その時のことをおぼろげにしか覚えていませんが、どうやら休み時間の合間に学校を抜け出し

実家(父親の生まれた家)に学校から歩いて行ってたようです。子供の足でも歩いて1時間

ほどかかりますが、途中で田んぼや虫の飛ぶのを眺めながら喜び勇んで歩いて行った

記憶があります。本当に変わった子で当時の私の頭の中には決められた習慣を守るという

考えが薄かったようです。だから、自分の好きなように行動していました。

なんでだったんでしょうね。かなり常識とはかけ離れていました(笑)。

学校に行かないといけないという認識が薄く、行かなければならないけど絶対ではない

という感覚ですね。小学校に行く前の感覚がそのまま続いていました。

何度かそういうことがあり、やっと子供心に学校に行かなければいけないものだと認識

したようですが、先生の話を聞いているのがたいくつで仕方がなかったことを覚えています。

だから、勉強するという感覚がなかったので、いつも通信簿が1のオンパレードだったんで

しょう(笑)。本当に興味を持って自分から勉強に取り組み始めたのは中学校に上がる

前の冬休みでしたから相当アホな子供でしたね。

だから、その後はめきめき頭角を現し、中学校ではカンニングしたんだろうと先生からは

怪しがられ、二度続いて成績が良かったのでやっと誤解が解けましたが・・・・。

このことから、子供と言うのは興味を持たせ自発的に行動できるような環境を整えて

上げることが大切だということがわかりますね。その方が劇的な効果をもたらします。

あとは両親の持つ生活環境でしょうね。しっかりとしたものなら子供は黙っていても

すくすく育ちます。決して不良なんかにはならないでしょう。

また、学校なんて昔の様に飛び級制度を設ければいいんです。勉強が出来る子は

どんどんさせて、先に覚えさせ、覚えたら学年の途中からでも進級させるというやり方

です。昔はあったようですが、いつの間にかなくなり勉強ができてもできなくとも同じ

ように進級していくものになってしまいました。

うちの親が言ってましたが、勉強が出来る子は同じ年でも学年が二つ三つ上と言うのが

あったそうです。そうやって英才教育をさせていたようで何度も聞かされました。おそらく

戦前の話だろうと思います。だから、戦後日本がアメリカに占領されてから変えられて

しまったんですね。アメリカを追い越すような秀才が出来ては困るということで・・・。

日本は明治維新でも大きくその方向性を変えられてしまいましたが、戦後の日本も

アメリカによってものすごく変えられてしまったと思いますね。独自性という芽をそぎ取り

自分で考えるという習慣を減退させ、すべて平等主義と言う美談の前に皆が同じく行動

するというやり方になってしまったようです。それを強力に推し進めたのが日教組という

存在でした。異端児は許さないというものです。子供から自由を奪い、すべて決められた

ルールに従ってしか動けないような子供を量産するというのが今の教育です。

今はそんなことがあるのどうかわかりませんが、100m競争させて走った生徒がすべて

同じ時間に同時にゴールラインを踏むというものです。それは悪平等主義です。

こんなやり方するから世の中おかしくなってしまうんです。

本当にいつになれば、教育制度が大きく変わるのだろうか?と思います。












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