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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:リーダーはもう必要ありません・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:リーダーはもう必要ありません・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



あなた達ひとり一人が好きなこと、楽しいこと

得意なことをして行けば、リーダーなどいなくても何も困りません。

反対に平等で自由な社会を創造することが出来るようになります。

リーダーを求めないでください。

リーダーはもう必要ありません。byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

いろんなことが起きています。

不安になることもあると思います。

でも、あなたを引っ張ってくれる

力の強いリーダーを求めないでください。

もうリーダーはいりません。

これからは、数人の力のあるリーダーに導かれて行く時代ではなく

個々が自分の好きな方向へ向かって行く時代へと移行していきます。

強いリーダーを求めてしまうと、また同じことが繰り返されてしまいます。


でも、誰かがみんなの意見をまとめていかないと

収集がつかなくなってしまいませんか?

と思うかもしれませんが、それはいままでの常識などから

導きだされた考え方です。

ピラミッドシステムで培われてしまった考えかたなのです。

ひとりの強大なリーダーの力によって

民衆がまとめられ、秩序が保たれる・・

そう教え込んできたのがピラミッドシステムなのです。

そう教え込まないとピラミッドシステムが成り立たないからです。

リーダーの一声でいっせいに民衆が動く・・

それは人々を管理したいトップの人にとって

とても都合の良いことなのです。

だから、リーダーを必要とするようにミスリードしていったのです。

そのためにいまあなた達はとても苦しいことになってしまっています。

自分の望まない方向へも行かなければいけないと思い

我慢し、みんなに合わせ生きていかなければいけないのです。

まとめ役・・リーダー・・

そういう人が出て来るとそこには権力が発生します。

権力が発生すると、人々の間に階級が生まれてきます。

不平等も生まれてきます。

それが、いまのあなた達の社会の抱える

大きな問題の原因なのです。


みんなが平等であるためには、権力は必要ないのです。

でも、そうはいってもみんながバラバラに好き勝手に

行動しはじめたら何もできなくなってしまいます・・

というエネルギーが飛んできますが、そんなことはありません。

個人個人が好きにやりたいように生きていくと

みんなご機嫌さんになれます。

ご機嫌さんになれば、表現の仕方もご機嫌さんなものになります。

何を言ってるの?って思いますね(笑)


例えば、掃除・・・いまの社会では組合?町内会?の

リーダーの号令のもとみんなが同じ時間に駆り出され

イヤイヤしているというのが現状だと思います。

それでは、苦行としか感じられませんね。

でも、みんながご機嫌さんな社会だと楽しみに変わるのです。

簡単なことです。

掃除が好きな人、きれいな方がいいと思う人だけが

好きな時に掃除をすればいいのです。

掃除が好きな人はいます。

きれいな方が気持ちがいいと思う人もいます。

ならば、その人がすればいいのです。

そして、好きではない人はしなければいいのです。

そうすれば、道路はきれいにすることは出来ますね。

そして、掃除は嫌いだけど花を育てるのは好き

という人もいると思います。

ならば、掃除はしなくても道

路の脇に花を植えていけばいいのです。

そうすれば、きれいな道路が出来ますね。

掃除する人も、花を植える人も楽しんでいますので

楽しいエネルギーで満たされとても気持ちの良い道路になります。

強制されて、イヤイヤ掃除をした不機嫌なエネルギーで

満たされた道路よりも気持ちの良い

道路になるのではないでしょうか?

人それぞれに好きなことは違います。

それを尊重していけば、誰に命令されなくても

秩序は保たれるのです。

そして、みんながご機嫌さんでいれば、ケンカなどもなくなり

ケンカの仲裁をする人なども必要なくなるのです。

力の強い人がリーダーとして

人々をまとめ同じ方向へ引っ張って行かなくても、

それぞれの個人の好きなこと、得意なことを尊重し、

尊敬し、感謝しあうことが出来れば、

リーダーなどいなくても社会は十分に成り立って行くのです。

それが、ムーやじょうもんの頃の社会なのです。

ムーやじょうもんの人たちにはリーダーはいませんでした。

みんながただ好きなこと、得意なことを提供しあうだけで

楽しい社会が創造出来たのです。

みんなが平等で、平和で、秩序があって

気持ちの良い社会でしたので

長期にわたって続くことが出来たのです。

もうリーダーはいりません。

誰かの号令でいっせいに何かをするという

同じ考え方をしなければいけないという社会は限界に来ています。

それは、あなた達も感覚で分かっていると思います。

強大な力を持つリーダーはいりません。

テラの波動が変わり、

これからたくさんのことが起きて来ると思います。

でも、あなたを導いてくれるリーダーを求めないでください。

社会の問題を解決してくれるスーパーマンを探さないでください。

そんな人はいません。

誰かに頼るということは、

あなたの権利を手放すということなのです。

リーダーがいなくても大丈夫です。

あなた達ひとり一人が好きなこと、楽しいこと

得意なことをして行けば、リーダーなどいなくても何も困りません。

反対に平等で自由な社会を創造することが出来るようになります。

リーダーを求めないでください。

リーダーはもう必要ありません。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


これはこれから私たちが真剣に考えて行かなければならない課題だと思います。


今の政府のやり方を見ていてもわかるように、ほとんどが民意を無視してます。

そして、実現していることと言えば彼らの意に沿うものばからりで、それが

民意を反映していると言われているものです。


子育てが大変だから保育所が必要と多くの保育園が出来ましたが、本当はその

ようなものは必要ないはずです。

まず、必要なのは母親が仕事に出なくとも十分育児が出来る環境が必要なはず

です。それには十分な収入が得られるようにしなければなりません。

それが本来出来ていないから共働きになり、子ども世話ができないからと保育所

が必要になるのです。

その地域のお母さんたちが自由になり手が空けば、互いに必要な時に子供の世話

が出来るはずです。そして、子育てに必要な知識は互いに情報交換しながら共有

できるはずです。

そして、核家族ではなく、3世代同居の様な大家族に移行するようにすれば、

さらにその利便性が増えます。それは家族の中で多くのことがやりくりできるよう

になるからです。


昔は幼稚園はありましたがすべての子供が入れるほど足りてはおらず、お金に

余裕がある家庭が対象でした。そのこと自体に良い悪いの評価はあると思います

が、当時は各家庭で親が必要な子育てと躾を行なっていました。

それが出来ないのが今の状況です。

他人である保育士に任せるよりも実の母親が育てる方がはるかにいいはずです。

もちろん、いろんなひとがいるので異論があるのは承知の上ですが・・・。


また話が飛んでしまいましたが、要するに私たちの代表者の集まりである政治に

任せきりになると彼らの都合のいい方向へ持って行かれるということです。


保育所の問題点は親子とのつながりが薄められる方向に進むということです。

それは政府にしてみれば国民をコントロールしやすい方に流されるという

ことで、彼らの利便性が増すだけです。


もし、各家庭で親が子供を自由にのびのびと育てることができるようになれば

各家庭同士の交流も子供を通じて増えることになり、情報もスムーズに行き渡る

ようになります。そこには個人のプライバシーが保護されないという問題点を

指摘する人もあるかと思います。


個人情報保護法はプライバシーを守るという点に立脚したものですが、本当に

それでいいのでしょうか?


個人情報保護法が出来たおかげで災害時に必要な情報共有がしにくくなったと

いう声も聞かれます。そして、互いに疑心暗鬼になり信頼し合うという本来の

在り方が失われて行くようになったと思います。


もし、本当に相手を尊重する気持ちがあるならば他人のプライバシーなんか

覗き見ようとすることもないし、ましてやそれを誰かに公開するようなことも

なくなるはずです。


今の社会はそうした観点からすれば配慮に欠けた社会です。

たとえば、芸能人にはほとんどプライバシーなんかあってないようなものです。

不倫をすればすぐに週刊誌で暴かれ、全国から一斉に叩かれます。本来不倫と

いうのは個人の問題であって他人は関係ないものです。関係するのはその二人と

利害関係にある人たちだけです。

それがひとたび報道されると多くの人や団体からパッシングを受け、最悪の場合

仕事を失います。


一方ではパッシングをした人たちには何のお咎めもありません。

これほど不公平なことはありません。


芸能人だから有名税だと思う人もいるかもしれませんが、もし、その当事者に

有名人でもない自分が置かれたらどうするのでしょうか?

それまで秘密裏に運んでいたことがすべからく表ざたにされ、多くの人から

パッシングを受けるようなことになれば、生きて行く意欲を失うでしょう。


秘密にしなけらばならないということにも問題はあるのですが・・・。

そのこと自体が人と人との付き合いに制限があるということです。

恋愛は本来自由なはずです。


わき目もふらず一生一人の人しか愛してはいけないということがあるので

しょうか?

愛すること自体誰にも制限することは出来ず、自由なはずです。


いろいろ話は飛んでしまいましたが、誰かの指示を受けたり、命令されたり

することなく自由に生きることが当たり前とされる時代になるということです。










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