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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:そして、干渉しないこと・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:そして、干渉しないこと・・・」


(ここから)

今日の破・常識!



”愛”に満たされた社会というのは、

お互いの個性のエネルギーを尊重し、尊敬し、感謝し、

そして干渉しないということ・・・らしい(笑)

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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

”愛”というのは、尊敬と感謝の気持ちです。

そして、人を愛するというのは、

その人の個性のエネルギーを尊重するということです。

その人の個性のエネルギーに干渉しないということです。

誰かを守る・・それが”愛”ではないということです。

この”愛”という概念を間違ってしまうと

争いや自己犠牲になってしまうのです。

守る、保護することが”愛”ではないのです。

手をかけることが”愛”ではないのです。

その人の個性のエネルギーを信じ切れること

・・それが”愛”なのです。

子どもであっても、パートナーであっても、誰であっても、

その人の自由を尊重すること

それが”愛する”ということなのです。

子どもを愛してるならば、親は我慢するものだ

・・・それは愛ではなく、自己犠牲です。

自己犠牲からは喜びは得られません・・

自己犠牲することで欲求不満になってしまうだけです。

子どものことを保護し、間違った道に行かないように守る

・・それは、愛ではありません。

それは、コントロールです。

自分が(親が、まわりの人が)正しいと思うことを

子どもに押し付けているに過ぎないのです。

子どもを愛するならば、子どもの意志を尊重してください。

でも、そんなことをしたら子どもは好き勝手して

手に負えなくなってしまいます。

そんなに好き勝手にさせたら、社会のルールが守れなくなって

困った人になってしまいます。

だから、子どもにはちゃんと社会のルール

(常識、倫理感、道徳感など)をしっかりと

教えなければならないのです。

それが子どもを愛することです・・と

あなた達の社会では考えられていますが、

子どもに何も教える必要はないのです。

子どもに教えるのは、人を愛することだけで十分です。

人を愛することを知っている子どもは、

人に対して困ったことはしません。

ルールを教えなくても、出来るのです。

マナーやルールというものは、

人がイヤな思いをしないようにどうすればいいか・・

というマニュアルにすぎません。ただのマニュアルなのに

そのマニュアルに価値があるように思ってしまっているだけです。

マナーやルールの本来の目的を思い出してください。

マナーやルールが主で、人が従ではありません。

人に不快な思いをさせないためにはどうすればいいでしょうか?

それは、相手を尊敬し、尊重し、感謝し、干渉しないことです。

それは、相手を”愛する”ことです。

大人たちが”愛”を知り、”愛”を実践していれば、

子どもも”愛”を実践するのです。

子どもは大人の姿を見て社会のことを覚えて行くのです。

大人が”愛”を実践していないのに

子どもに”愛”を説いてもそれは無理なのです。

ルールだから守りなさいとうるさく言っても聞く耳は持ちません。

分かりますね。


もう一度言いますが、”愛”は尊敬と感謝です。

人(人だけでなく、あらゆる存在すべてに)に対して

尊敬と感謝の気持ちを持つことが出来れば、

何も問題を起こすことはないのです。

子どもだけでなく、大人もそうです。

”愛”の意味を知ることが出来れば、争いなど起きないのです。

戦争など起きるはずがないのです。

お互いの考え方、価値観、習慣を尊重しあうことが出来れば、

争いなど起きないのです。

私が何をお伝えしたいのかというと・・

保護すること、守ることを”愛”だと

思わないでくださいということです。

”愛”に満たされた社会というのは、

誰かを守り保護する社会ではありません。

”愛”に満たされた社会というのは、

お互いの個性のエネルギーを尊重し、尊敬し、感謝し、

そして、干渉しないということです。

100人いれば100の考え方があるということを理解し

その人がどんなに自分と考え方価値観が違っていても

それでいいと思える社会なのです。

(あまりに自分と違うならば、どちらが正しいかなどを

言い合うのではなく、ただ住み分ければいいだけのことなのです。)

そして、お互いに、お互いの力?能力?を

信頼し合える社会なのです。

親子愛、夫婦愛、民族愛、宗教的な神への愛・・

そんな狭義の愛のために争わないでください。


余談になりますが・・戦争はその狭義の愛を刺激して起こされるのです。

あなた達に小さくて狭い”愛”の概念を教え

その”愛”を守るために自分を犠牲にすることが素晴らしいことだと

教え込み、自分達の利益のために起こした戦争に駆り立てるのです。

誰か大切な人を守るために、自分は犠牲になって戦争に行く

・・そんな考え方はナンセンスだとお伝えしたいのです。

戦争に限らず、普段の生活の中でもそうです。

小さくて狭い概念の”愛”を守るために

自己犠牲をすることが素晴らしい生き方だと教え

そして自ら自己犠牲をするようにミスリードするのです。

そうすれば、あなた達は我慢し、そして疲れ果て、

そして重いエネルギーを放出してくれるから

支配者たちにとって都合がいいのです。

”愛”は尊敬と感謝です。

その”愛”を実践することが出来れば、

人に干渉することがなくなりますので

自分も誰からも干渉されることがなくなり

お互い自由になれるのです。

お互いの力を信頼しあえることで

コントロールなどする必要がなくなるのです。

あなたの社会、あなたの世界を”愛”で満たしてくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします「」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


男女の愛も難しいものです。

ややもすると、相手を自分のものにしようとして自由を制限し束縛してしまいます。

誰々と会ってはいけないとか、どこどこに行ってはいけないなど行動の自由を奪い

自分の眼の届く範囲に置こうとします。

こうしたことは恋愛関係にある人より結婚している男女に観られます。

アシュタールの語る愛は結婚している男女においてどちらが何をするにも自由です。

だから、行動の制限はありません。

そして、その行動が愛と感謝に満ちているものなら、互いに困るようなことはしない

でしょう。自ずと行動の自由の範囲はそれに基づいて自らが決めるからです。

そのため、大きな問題は生じないと思います。

互いの自由を尊重し、愛と感謝の念を持つのが本当の愛です。

そして、干渉しないことです。



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