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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:”待て”の精度がすごすぎる・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:”待て”の精度がすごすぎる・・・」


(ここから)


”待て”の精度がすご過ぎる・・・

「お座り」や「待て」、「伏せ」などは定番ですが、

今回は驚くほど精度の高い「待て」ができるお利口さんたちを

ご紹介します。





動画が見られないときは、こちらからどうぞ


・・・という動画・・ホントにすごい!!(感激)って思ったんだけど、

見終わったときの一抹のさみしさが・・・なんだかなぁ~って思った^^;

飼い主?のひと言で、ピタッと動かなくなる犬たちって・・私たち?って

思っちゃったんですよぉ~。

学校や家などで”躾け””教育”って言われていることって、これと

同じなんじゃないのかなぁ~って。

このワンコたちのように飼い主(権力者達)のひと言で、いくらでも我慢し、

じっと耐え、褒められることだけを喜びとして従順に従う大人に育てられてる

のかなぁ~~って。


そりゃ、飼い主は自分の命令に従ってくれると嬉しいですよねぇ~~、

気分は良いですよねぇ~~、

でも、犬たちはそれで楽しいのかなぁ~~、

褒めれらるだけで、それで幸せなのかなぁ~~、

って思っちゃった。


気楽に、無邪気に、楽しめば良かったんだけど、いらんことを考えて

しまったミナミでしたぁ~~^0^;


では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなた達を支配・コントロールしている存在たちは、直接あなた達に何も

していません。

しているのは、思考の操作だけです。


あなたの思考を、彼らの都合のよいように操作しているだけなのです。

あなたが自らすすんで彼らに従うように、思考を操作しているのです。

あなた達は自由に自分で考えていると思っています。

でも、そこには大きな制限がかけられているのです。

透明な見えない檻、手枷足枷をかけられていることに気がついて

いない状態になっているのです。


自由だと思っていますが、それは制限の中で許された範囲の中の

自由だということです。

彼らが設定した制限の中では何をしてもいいですよ・・と許された

だけの自由なのです。


自分で考えて行動していると思っていますが、それは刷り込まれた

常識や考え方、倫理観、道徳観などをはみ出さないように行動している

時点で自由な行動ではないということなのです。


社会にでてちゃんと働くのは当たり前・・それは自分で考えていると

思っているのですが、働くのは当たり前だと思い込まされているのです。

分かりますか?

働かない自由もあるのです・・でも、働かなければ生きていけません。

という思考も、そう思い込まされているだけなのです。


朝起きて学校(会社)に行って、先生が教えることをおとなしく

勉強して(上司の命令に従って仕事をして)時間が来たらお昼ご飯を

いっせいに食べて、夕方(夜)になったら家に帰って、お風呂に入って

寝るという規則正しい生活が、良い生活であり、良い人生だと刷り込まれて

しまっているので、それを疑問に思うことも出来なくなっているのです。


朝起きなくても、働かなくても、夜寝たくなければ寝なくてもいいのです。

食べたいときに食べて、寝たいときに寝て、やりたいことをやりたいように

する・・自由に自分で好きにすることが出来るのです。

自分で考えて自分の生活をどうするかを選択する自由は与えられて

いないのです。


あなた達の思考を操作するために一番効率的なのが脅しです。

恐怖を与えることで、思考は操作しやすくなります。

働かないと食べていけない、ちゃんとした生活をしないと社会人として

認められない、学校に行かなければ将来困る、小さい脅しも、大きな

脅しも数限りなく設定されているのです。


恐怖、心配、不安、怖れを与えておけば、思考は停止し考えなくなります。

これをしておけば安心ですよという保障の範囲をみせ、そこに閉じ込め

ようとするのです。

この檻から出ると怖いことがたくさんあります、いつ誰に襲われるか

分かりません、命を落とすかもしれません・・だから、安全なこの檻の

中にいなさい・・と言って、あなた達の思考を操作し、自分たちに

とって(搾取しやすい)檻の中に自分から進んで入るようにしているのです。


”待て”と言われて待つ必要はないのです。

命令に背いたらひどい目にあいますよ・・と言われても、それでも

かまいませんという勇気があなたにあれば、彼らは何も出来ません。

走り出したあなたに何も出来ないのです。

後ろから大声で叱る?声を上げるしかないのです。

後ろでいくら怒鳴られても、あなたは何もされることは無いのです。

危険はありません。


”待て”と言われて待つというのが当たり前だと思っているから、

待ってしまうのです。

なぜ待たなければいけないの?・・と考えてください。

待つことで私に何か良いことがあるんですか?・・と考えてください。

あなたがご機嫌さんにならないと思ったら、待ちませんと言って

走り出してください。


あなたは自由なのです。

あなたの権利である(制限のかかっていない本当の)自由を

手に戻すためには、どうして?と考えてください。

どうして待たなければいけないの?どうして働かなければいけないの?

どうして学校に行かなければいけないの?どうして授業中はただ黙って

一方的に教えられることを丸暗記しなければいけないの?

どうしてご飯を食べる時間が決まっているの?


どうして?と考えられるようになると、たくさんの疑問がわいてきます。

その疑問があなたを自由にしてくれるカギになります。

それは当たり前だから・・という言葉を手放して、どうして?と考える

ようにしていってください。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


まさに私たちの社会そのものですね。

ホントにこの犬たちは・・・・。

何を考えているのか?

ただ、ひたすら次の命令が下るまで身を鎮めて待つという訓練の賜物ですが

一抹の寂しさを彼らから感じられますね。

そこには自らの意思で行動するというのではなく、ただひたすら主人の指示を

待って行動するという習性を身に着けてしまっています。

私たちもそうですね。

学校教育を終えたら社会に放り出されますが、そこからは自分で働き先を見つけ

自らが身を粉にして働き収入を得て暮らして行かなければならないと教え込まれ

その通りに、就職先を探していきます。

でも、別に就職先を探さなくとも自分で仕事を創ることも出来るはずです。

しかし、そのようなことを教えてくれるような先生はどこを探してもいません。

大学であれば、ゼミとかで企業との合同研究を行っているのでベンチャーを

立ち上げ自分の足で歩くことを教えられるかもしれません。

高校生以下では皆無でしょう。

一生会社の奴隷となって働きなさいと言われているのと同じことです。

それを誰も疑いません。

当然のことだと思わされています。

そうしたことは就職先を探して働く以外に数多くあります。

それも当たり前のように・・・。

そして、それが出来ないと周囲の親、友人、先生、親戚などから非難されます。

仕事もしないでブラブラしていると・・・。

それがいわゆる衆人環視と同じことです。

昔の特高警察と同じようなことが形を変えて行われています。

まあ、特高警察にしょっぴかれ牢屋に入れられ拷問を受けるというようなことは

ありませんが、それに代わる心理的なプレッシャーを受け続けます。

そして、自分はダメ人間かもしれないと自らを追い込んでいきます。

最悪の場合はこの世を去るという決断をすることもあるでしょう。


今は、そうした社会的矛盾に気づかないといけません。

本来、私たちは自由な存在なのです。

自らが道を見つけ、自らが決め、自らがその行動を取ることができるものです。

そうして初めて真の自由が得られることと思います。






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