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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:政治は必要ないのです・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:政治は必要ないのです・・・」




(ここから)
このピラミッド社会から脱するのに政治的なプロセスは
必要ではないのでしょうか?

・・・というご質問をいただきました^^


では、アシュタールぅ~、よろしくお願いします^0^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

政治的なプロセス・・政治的ということがそもそもすでにピラミッド型の

社会の手段ということです。


ピラミッド社会のシステムが、政治です。

ピラミッド社会のシステムは、強い方が有利だということです。

独裁国家の政治はもちろんのこと、民主主義と言われている国家も

結局は多数決(数の多い人の意見を重視する)ということで、

力の強い人の意見が通るのです。


政治とは、何人かの代表を選んで、その人達に自分達の道(生活など)を

決めてもらうということです。

代表に選ばれた人の意見によって、自分たちの生活が変わるのです。

代表は強い権力を持ちます。

権力を持った人たちがリードしていくということになります。

ここまで大丈夫でしょうか?


そうなると、常に権力を持った人たちに自分達の権利を預けることに

なります。

権力を持った人たちが、自分達の都合の良い政治をすることに

なってしまうということになります。

いま行われている政治は、このように権力を持った人たちのための

政治なのです。

分かりますね。


その権力者がどちらを向いているかで、政治は決まってくるのです。

国民のために政治をします・・といっても、国民の考え方はいろいろです。

国民の暮らしが良くなるような政治を目指します・・と言っても、

その人が考える国民の良い暮らしがどのようなものかで変わってくると

いうことになります。


たとえば、戦争をして、国を大きくして、経済的に強くすることが

人々にとって良いことだと思っているリーダーもいるかもしれません。

その人にとっては、戦争をすることが国民のため、国民の良い暮らしの

ためだと思っているかもしれないのです。

だから、国民も一緒に戦争をするべきだと思っているかもしれません。

そして、その考え方に賛同する人が多ければ、

それは民意として肯定され戦争に突き進むことになるかもしれないのです。


それは国民にとって良い暮らしではありません・・と言っても、

政治は多数決ですので、力の強い方がその意見を押し通すことが出来るのです。


そのリーダー(政治家)が良い暮らしと思っている暮らしが良いと思う人もいるし、

もしかしたら、その暮らしを良い暮らしだと思えない人もいるかもしれません。

そうなると、良い暮らしではないと思っている人にとっては、その政治家は

良い政治家ではなく、権力を自分のために使っていると思うかも

しれないということです。


伝わっていますでしょうか?

すべての人が満足する政治というものはないということです。

政治は数の論理、多数決ですので(表向きは、ですが・・・)

少数派の考え方の人は、常に多数派の考えに合わせなければいけなくなり

我慢を強いられるようになります。


そして、リーダーの考え方が大きく人々に影響するということです。

自分達の意見を代弁してくれるリーダーだと思っても、すべて何もかもが

自分の意見と一致するということはないのです。

だから、どこかで必ず不満が出ます。

そのリーダーの意見、考え方が変わるかもしれません。

そうなるとまた違うリーダーが出てきます。

そして、また、政争がはじまるのです。

同じことが繰り返されるということです。


すべての人が満足するためには、政治は必要ないのです。

政治という概念では、すべての人が満足できる社会は出来ないのです。

すべての人が満足できる社会には、リーダーは必要ないのです。


新しい社会(ピラミッド型ではなく、横並びの丸い社会)を創造したいと

思うならば、リーダーを求めないでください。

力の強いリーダー、自分達を導いてくれるリーダーを求めていては

新しい社会は創造出来ません。

政治的なプロセスでは、ピラミッド社会から出ることは出来ないのです。


人はみんな違います。

違いを認めるのではなく、リーダーが決めたことに従うという考え方

では、いまのピラミッド社会から出ることは出来ません。

リーダーという存在自体が、ピラミッドの概念だからです。


政治によって、いまの政治を変えようとしても、そもそも考え方が

同じですので、表面的にちょっと変わったと思っても、基本的には変わりません。


みんなの力でいまの政治を変えようと思っても、それは結局はまた

数の論理、力の強い方が有利、声の小さい人は取り残されるということの

繰り返しになります。


横並びの丸い社会では数の論理は必要ないのです。

個々の意見を一つにする必要はないのです。


個々の意見、考え方を尊重出来る社会にするには、いまの政治という

概念ではムリなのです。


ですから、いまの社会から出たいと思うならば、政治に頼らないでください。

リーダーを求めないでください。

あなたの思考を変えてください。


それぞれ個々の人の考え方が変われば、いまの社会は自然と成り立たなく

なるのです。

人々がそれぞれに、この社会にはいたくない、この社会から出たいと

思いはじめれば、団結して何かをしなくても、自然とピラミッド社会は

崩壊していきます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。


(ここまで)


明日は参院選挙ですね。

果たしてどのような結果になるのか?


はっきり言ってどの政党に投票しても、どの政治家に1票入れても

政治が大きく変わることは今の日本ではありえません。

選挙はいわばパフォーマンスです。

民主主義(全員参加の決定)というセレモニーであり

選挙の結果はすでに大方決まっています。

それは期日前投票が多ければ多いほど実権を握っている政権に

有利なようになっています。

しかし、この期日前投票を考え出した人はすごいですね。

選挙前に投票された票をいくらでも改ざんできるからです。

数も改ざんできるだろうし、鍵を預かっている人が夜中に忍び込んで

票を入れ替えてしまえば、落選する人も当選させられます。

この選挙操作のことは毎回いろいろなところで公表されていますが

大手新聞社やテレビが取り上げないので誰も知りません。

まさか、そんはずないでしょう!

選挙は公平に行われているのですから・・・。

というのが一般国民の変わらざる心理です。

ただ、今回は少しまともな政治団体が出てきていて、それが大躍進すれば

面白いのですが、その政治団体が政党に格上げされ党員や所属議員が増えて

来れば今の政権と同じ道をたどるでしょう。

なぜなら、正当な政治を志向していても、その党首が除外されてしまう

ということがあり得るからです。

台湾も中国寄りの人物が党首になり実権を握ったとたんに政治的志向が

大きく変わり、それに国民が大反発したことがありました。

日本ではこの大反発と言うのはまずないですね。

完全に国民が飼いならされた羊になってしまいましたから。

それにマスコミが一切真実を報道しませんからね。

ということで、政治に過大な期待を寄せることがそもそもの間違いです。


それでは次善の策としてどうすれば良いのかと言うと

地元の地域の生活を大事にすることです。

国政は国民の方を向いていませんが、地方政治はまだ国民の方を向いて

いますので、そうした流れを大事にすることだと思います。

そして、自分の生活空間と環境を大事にすることですね。





















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