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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:すべての存在は必要なのです・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:すべての存在は必要なのです・・・」




(ここから)

今日の破・常識!



あなたは、あなたのために存在している。

誰かの役に立つために存在しているのではない・・・らしい(笑)



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では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたのまわりに存在しているもので必要のないものはありません。

すべての存在は必要なのです。

必要と言っても、誰かのために必要だから存在しているのではなく、

その存在が自分のために必要だから存在しているのです。

禅問答のようですか?(笑)


あなた達は、いろいろな存在に対して、自分にとって必要か、

そうでないか・・という価値観でものを見る癖がついてしまっています。

自分(人間)にとって都合がいいものか?そうではないか?・・

で判断しています。そうではないのです。

すべて必要だから存在しているのです。

あなた達、人類にとって必要でないと思っても必ず必要なのです。

だから存在しているのです。

近視眼的に見ると、必要ないもの、反対に有害なもの、

と思えるもの(存在)であっても、その存在は、必ず必要なんです。

病気になるからと、一部の菌だけを排除しようとすると、

おかしなことになってしまいます。分かりますね?

病気になる・・と思われている菌も、いないと困るのです。

それを一部の菌だけを殺菌、除菌、など

ナンセンスにもほどがあるということです。

殺菌、除菌などすると反対に身体が弱くなり病気になりやすくなります。

バランスなのです。バランスが崩れてしまうと、

あなた達が必要だと思っている存在も、

存在することが出来なくなってしまうのです。

近視眼的に、これは要る、要らない・・と判断しないでください。

それは、大きな目で見ると とても危険なことです。

要らない存在などないのです。

すべての存在は、必要だから存在しているのです。

悪い植物などありません。

それは、あなた達にとって都合が悪いと思ってしまっているだけです。

これは要らない植物だから、なくしてしまおう・・などと考えることは、

自分で自分の首を締めているのと同じなのです。

そして、他の存在から、要らない・・などと思われる存在など

宇宙にはいないのです。

要らない・・などと判断できる存在もいません・・

そんな失礼なことはありえないのです。


近視眼的に判断しないでください。

テラは、宇宙は、判断しません。

すべてを受け入れています。

そして、すべての存在は、自分のために存在しているのです。


あなたもそうです。

あなたは、あなたのために存在しているのです。

誰かの役に立つために存在しているのではありません。

あなたが、あなたのために存在していることが、

誰かの役に立つということはありえますが、

役に立つために存在するのではないのです。

誰かの都合の良いように存在する必要はありません。

役に立つために存在する必要はないのです。


あなた以外の人もそうです。

誰かのために存在しているのではないのです。

もちろん、あなたのために存在しているわけでもありません。

あの人は、社会にとって要らない人だ・・などということは、

とても傲慢な考え方です。


すべての存在(人も動物も植物も鉱物も)は、

必要だから存在しているのです。

そして存在達がそれぞれの個性の音を出して、

ハーモニーを奏でているから

バランスが保てることを忘れないでください。

あなたもそのハーモニーを奏でているのです。

みんなでハーモニーを奏でているから、

あなた達も存在出来るのです。それぞれの音に感謝してください。

この音は要らない・・と排除してしまうと、

ハーモニーは奏でられないのです。

お互いの存在に感謝し、美しいハーモニーを奏でる方向へ

意識を持って行ってください。

排除の意識は、ハーモニーを崩してしまいます。


今日は、ちょっと観念的な話になりましたが、

感覚的に受け取って頂けるとうれしいです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


なかなかこうした考え方は受け入れがたいことでしょう。

それは悪人であっても必要だから存在しているとも言えます。

すべては対照的なものとして存在し、片方だけ存在するという事は

この世界ではありえないことのように思えます。

だから、善人だけの世界もないし、悪人だけの世界もないという事です。

たとえ私たちの視点から見て悪人だと思われる人々の集団の中においてさえ

善人に近い人がいるということです。

それは私たちが仮に善人だとしても、その中には様々な人がいます。

まるで善行のすべてを行い得るような人がいるかと思えば、逆にいじわるを

くり返す人だっています。

そして、そうした人は善人に悪ということを教えるためにも必要なものです。

その逆も言えますね。

したがって、両者がいて初めて相対的な判断とか評価が生まれ、自分はどちらが

いいだろうか?という思考の始点になります。

これが善人だけ悪人だけの世界だったら自分のしていることの価値判断が

出来なくなるでしょう。そのため、互いに必要だということですね。



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