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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:何もしないでください・・・」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:何もしないでください・・・」



(ここから)

ブログの記事に最近たくさんのご質問を頂けるようになりましたぁ~^0^

ありがとうございます^0^

アシュタールやさくやさんも、ご質問を頂けることが嬉しいみたいです^^

でも、いただいたすべてのご質問にお答えしたいのはやまやまなのですが、

お答え出来る場合と、お答え出来ない場合があるんです^^;


答えてくれるかどうかは私ミナミが決めているのではなく、

アシュタールやさくやさん次第だということをご理解いただければ幸いです。

アシュタールやさくやさんが、どのご質問に答えてくれるか、

実際のところ、私にもわからないんです(汗)

アシュタールやさくやさんが答えてくれる基準がわからない(苦笑)

その時々のみなさまのエネルギーを感じて答えてくれてるんだと思います。

ですので、私の質問にはどうして答えてくれないの?って怒らないでくださいね(汗)

もしかしたら答えてくれるかも・・くらいのお気持ちでご質問いただければ

うれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。



・・ということで、


死にゆく人を見送る側の人間は、その人のお墓参りをしなくてはいけない!とか、

仏教徒であるために法要を欠かさずにしないといけない!と一般的に言われていますが

宗教とは関係なく我々は人として!どのようにたいしょすべきなのでしょうか?


とのご質問をいただきましたぁ~~^0^


このご質問にアシュタールがメッセージをくれましたのでお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

お墓参りや、法事などの宗教的な儀式は、亡くなった方のためではありません。

それは、残された方のための儀式なのです。


身体を脱ぐ・・ということは、簡単に言うと故郷(家)に帰るということです。


たとえば、留学のようなものだと考えてみてください。

あなたは、建築のことを知りたくて日本から外国に留学したとします。

そこに目的は違っても先に日本から来ている留学生がいます。

その人たちは、はじめて来て右も左もわからないあなたをいろいろ助けてくれました。

でも、その人達の目的が達成されて日本へ帰る日が来ます。

あなたより先に日本へ帰るという日が来ます。

(帰るというのは身体を脱ぐということです)


あなたは頼りにしていた人が帰ってしまい、悲しくて仕方がありません。

だから、何かモニュメントをつくって、その人をしのぶことにしました。

それが、宗教となってお墓や位牌などの形になったのです。


日本に帰った人は、そのことを知りません。

日本に帰った人にとっては、それはなにも意味はないのです。

残された人たちの気持ちを和らげるために作られたものなのです。


では、そういう宗教的な儀式は関係なく、人としてどうしたらいいのでしょうか?

何もしないでください・・とお伝えしたいと思います。


薄情ですか?

冷たいですか?


反対なのです。

何かをすれば、帰った人たちにとっては迷惑なのです。

帰った人達は、自分たちが留学先でやりたかったことはやり遂げたのです。

そして、その経験をもとに日本に帰ってからやりたいことがあるのです。

彼らはもう次の目的に向かっているのです。


その人たちに向かって、悲しいから帰ってきてほしい、あなたがいなくてつらいです。

あなたに会いたいです・・・と毎日電話をかけたらどうでしょうか?

帰った人達は困りますね。

あなた達のことが心配にもなるし、そんなに毎日電話をされたら自分が日本に帰って

したかったことに集中できなくなるのです。

次に行こうとしているのに、はっきり言って足を引っ張ってしまうことになるのです。


ですから、何もしないでください。

それはもうすっぱりきっぱり忘れなければいけないということですか?というエネルギーが

飛んできますが、そんなことはありません。

どうぞ思い出してください。

でも、その時は悲しいとか、さみしいとか、あなたがいなくてつらいなどの気持ちではなく、

私は元気でこちらで楽しんでいますので、

あなたもそちらで楽しんでくださいね・・という気持ちだけで思い出してください。


そうすれば、帰った人の迷惑になることもありません。


前回もお伝えしましたが、身体を脱ぐことは怖いことでも、悲しいことでもありません。

ただ、家に帰るだけのことです。

たくさん遊んで、あ~楽しかったと言いながら、家に帰るのです。

だから、身体を脱いだ人のことを気の毒に思う必要はありません。


そして、これは余談ですが・・

亡くなった方の供養(お供えものや儀式やお墓参りなど)をしなければ、悲しがったり

祟ったりするなどの話もあるようですが、そんなことはまったくありません。

身体を脱ぐと、価値観が大きく変わります。

テラで持っていた価値観とは変わりますので、供養を求めるなどまったくしません。

果物を食べたいなど思わないのです。

毎日思い出してくれないといって悲しむなんてこともありません。


ましてや、祟る?悪いことをする?など微塵も思わないのです。

あなたも仲良くしていた(たまにはケンカもしたかもしれませんが・・)大切な友達を、

そのくらいの理由で意地悪しようなどとは思いませんね。


ですから、人として何もしないでください。

ただ、その人の存在に対して尊敬と感謝の気持ちだけで十分です。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール! 感謝します。

(ここまで)


子供の頃、家や学校でよく教えられました。

8月の彼岸の頃になるとお墓参りをしないといけないと・・・・。

そして、その日は亡くなった人が1年に一度だけ我が家に帰って来る日だから

玄関を開け、仏壇にはろうそくを灯し、お供え物を上げ待っていないといけない

と教えられました。

そして彼岸が終われば亡くなった方が帰って行けるように灯篭流しをして

亡くなった方の霊をなぐさめ送ってあげるんですよ・・・と。

そして、仏壇には毎日ご飯やお供え物を上げお祈りすることが残された私たちの

大事な大事な役目なんですよ。もし、それを怠ったりすると天罰が下りますからね。

という具合でしたね。

当時はまだそうした風習が根強く、そのような行事を怠る人は冷たい視線を受けた

ものでした。

それも、今はだいぶ風化してきましたね。

特に都会ではお墓と言っても集合墓地みたいになってきて、毎年のお参りをさぼる

人も出てきているようです。これに困っているのが寺院関係者の方々ですね。

墓地や寺院を維持する収入が減ってしまうからです。

当地でも、寺院の維持には莫大なお金がかかるようで、今年は本堂とか関連する建物の

改修の必要があり全部で2億円近い費用が必要とのことでお布施の依頼がありました。

さりとて断ることも出来ないので払うことにしましたが・・・・。

都会ではかなり風化して来たと言え、田舎ではまだ根強いものが残っています。

話はそれしまいましたが、こうした教育を受けて育ってしまっている私たちの供養に

対する考え方を変えるのは容易でないことでしょう。まして多くの人が毎年供養して

いるのでわが家だけ無しということもできにくいところです。

でも、アシュタールが語るように本来は何もする必要がないものと思います。

私は割り切って年1回のお盆のときのお墓参りはしますが、それ以外は一切してません。

毎日仏壇に手に合わせるでもなく、ご飯を上げたりはしません。

それは親がやっていますが、最近は時々やるというふうになっています。

少しはわかってくれたのでしょう?

まあ、気持ちの上で必要ないと割り切っていられればそれでいいのではないかと・・・。

頑固に拒否してもあつれきを招くことの方が心配なので・・・。





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