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世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん: ブータン旅行記(3)・・近代化の波」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「ミナミさん: ブータン旅行記(3)・・近代化の波」



(ここから)


パロ空港に降り立ち、何やかんやとあったミナミAアシュタールですが・・

その後、パロの空港から車で一時間ほどの距離にある、ブータンの最大の都市

ティンプーへと移動することに・・・


ティンプーの場所は・・・ここ↓

butan13.jpg


ガイドブックで見たティンプーは、信号もなく、お巡りさんが手で合図して交通整理を

しているような、のどかな町でした。

パロからティンプーへ向かう車窓から見た景色も、本当にのどかな田園風景とか

山々が連なる気持ちの良い風景とか・・あ~~、やっぱりブータンはじょうもん人の

波動を受け継ぐところなんだ~~・・きれ~~い・・って感じ^^


でもね、ティンプーに近づくにつれ。。あれ?? あれ??・・って感じに!

どこもかしこも道路工事と建設ラッシュ・・・

工事、工事で埃っぽいし、人もたくさんいて・・ここだけなんか別の国みたい!


ガイドさんが言うには、ここ10年くらいでティンプーの町はずいぶん

変わってしまったって。

どんどん町が広がっていくのはいいんだけど、畑や田んぼがどんどんなくなって行き

新しい建物がガンガン増えて、まったく景観が変わってしまった。

それに連れて、車も増えて渋滞ばかりだし、人々も経済ばかりを優先するようになって、

何だか悲しいです・・って!


確かに、信号もなくてまだお巡りさんが交通整理してるんだけど・・・


butan14.jpg


そこだけのどかな感じで、まわりは工事と渋滞・・・

おまわりさんの後ろに写ってるのが、建設中のビル!

そして、写真ではうまく撮れなかったんだけど、信号のない町にひしめくようにあるのが

携帯電話ショップ!と ネットカフェ的なお店!

町を行く人たちも、みんなスマホを持って話をしている・・すごくミスマッチな光景!


昔ながらの町の風景と、それを飲み込むような近代化の波がごっちゃになったような

混沌とした雰囲気を、ティンプーに着いてまず一番に感じました。

これがブータンのいまの現状!

押し寄せる近代化?西洋化?の波に溺れかけているような・・そんな感じを受けました。

これが、一番最初にお話しした、高度成長の頃の日本を彷彿とさせる光景だったのです。

イケイケドンドンで、経済効果ばかりを重視し、人々は忙しく歩き回り、ビジネスに余念なく

ひと時も休まずスマホで話をする・・じょうもんの波動をまるで感じられない光景!

この後、このままいけば日本と同じ道を歩んでしまうのかな??と思いました。


それが悪いことだと言ってるのではないことはご理解ください。

近代化もいいと思います・・でも、さくやさんがいつも言ってる、

「便利になればなるほど不便になっていってるんじゃない?」・・

って言う言葉をすごく感じたんです。


生活は便利になってるかもしれない・・けど、常にスマホを握りしめ、歩きながらも

スマホで話をしている、ご飯を食べながらもスマホを見ている・・

忙しそうな人々を見ていると、便利なのか、不便なのか、わからなくなって来ました。


テレビを見ても、インドのコマーシャルがこれでもかと流され、それもすごく魅力的な

コマーシャルばかりなので、あれもこれもとどんどん欲しくなる。

(ブータンはインドの資本がたくさん入ってきているので、インドの影響が

とても大きいんです。日本でのアメリカみたいな感じ)


もちろん、日本での私の生活も同じようなものです。

ブータンの人たちに、いつまでも牧歌的な生活をしてください・・近代化?便利な?生活を

しないで我慢してください・・なんて言ってるんじゃないんです。

ただ、言葉で表現できないような、何とも言えない複雑な感情、違和感を覚えたのは事実です。


この時にすごく考えたのが、近代化?ハイテクノロジー?と牧歌的な文化は対立関係でしか

有り得ないのか?・・ってことでした。

近代化?機械化?西洋化?していけば、日本もそうだけど大抵の国は、牧歌的なのんびりした

雰囲気がなくなってしまう。


高いテクノロジーを使いながら、牧歌的なゆっくりした生活は出来ないのだろうか?

そんなことを考えていたら、さくやさんがメッセージをくれましたのでお伝えしますね。

「出来るわよ・・じょうもんの頃がそうだったんだから。

じょうもんの子たちは、あなた達が考えてるような原始的な生活をしてたわけじゃないのよ。

とても高いテクノロジー(科学的技術)を持ってたわ。

ただ、その使い方があなた達と違っただけなの。


包丁と同じよね。

同じツールであっても、使う人によって違うものとなるでしょ。

美味しい料理を作ることもできるし、人を傷つけるような使い方も出来る。

使う人の意識、思考ひとつなの。


テクノロジー(科学的技術)は道具なの。

使う人によって、どう使うかが変わってくるの。


いまのあなた達のテクノロジーは、破壊の方向なの。

だから、自然とは合わない(あなた達の感情や求めている生活も、ある意味自然と同じ)

あなた達の生理的な欲求を無視して使うから、破壊的なことになってしまうの。

いまのあなた達の社会を見ればわかるでしょ。

自然を自分達の都合のいいようにコントロールするためにだけテクノロジーを使う。

人々を支配者たちの都合のいいように(たくさん搾取出来るように)テクノロジーを使う。

だから、いくら働いても豊かになれないの。

そして、もっともっと、と、がむしゃらに働かなきゃいけないことになってしまうの。


自然とともに、共生する方向でテクノロジーを使えば、とても豊かな社会が出来るわ。

山を削って(自然と対立して)、平地にして、そこにコンクリートで作った高い建物を建てる・・

これが高いテクノロジーだと思ってるから、どんどんおかしな社会になってしまうの。


自然の形(山なら山、谷なら谷、川なら川)に沿って、その形を借りて住むところを創る。

そこにテクノロジーを使えば、自然と反することはなくなるから、人々も生理的なことで

ストレスを感じることなく健やかに生活することが出来るのよ。


自然を削ったところに、地面から離れる高い建物を建て、そこにに住むって言うのは、

人びとの生理的なところを考えればものすごくストレスだってこと。


じょうもんの子たちのような生活に戻せばいいのよ・・って私が言うとね、

あなた達は、もう洞窟に住むような生活は出来ません・・って言うけどね(笑)

じょうもんの子たちは、あなた達が考えてるような原始人的な生活をしてたわけじゃないのよ。

きっといま、あなたが見たらびっくりするほどハイテクな生活をしてたんだから・・

詳しいことは、いまは教えられないけどね・・


だから、出来るの。

テクノロジーと人間の生理的な欲求とは相反しないのよ。

融合して、快適な生活をすることは可能なの。

実際にじょうもんの子たちがしてたんだから。


新しい社会を創りたいなら、征服(コントロール)じゃなくて、融和(寄り添う)方向で

考えてみればいいのよ。


テクノロジーは、ただのツール(道具)にすぎないんだから・・それを使う人の意識、思考で

どうにでもなるのよ。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^



・・ということで、近代化?西洋化?についてとても考えさせられたティンプーです・・・

が、それと同じくらい考えさせられたことが、もう一つあったのです。


      ブータンの旅はまだこれからです^0^

(ここまで)


縄文時代の人々が今のような科学技術を駆使して生活していたとは、私たちが教えられている

竪穴式住居の様子などからは想像もつかないものです。

でも、さくやさんが言うのですから、今よりもはるかに進歩したテクノロジーを持っていたのでしょう。

でもね~。どうしてもそれと竪穴式住居の藁ぶきの建物と結びつきません。

と言うことは竪穴式住居の想像図自体が間違っているということになりそうです。


それでは、どういうこと?

と言われそうですが、ここからは私の類まれなる想像力を駆使してですね・・・・(笑)。

縄文時代の住居や生活葬式を示す数々の遺跡の年代推定自体が間違っているのではないかと

いう疑問があります。あれは縄文時代後期の弥生時代に近い時期のことで、西欧や中国大陸

から移住してきた人たちはあまり文化や科学時術が発達していなくて、今残っているのは彼らの

遺跡ではないかと言うことですね。本当の縄文時代の人々はマヤ文明に見られるようにある日

忽然と姿を消し、それまで使われていたテクノロジーもそのときすべてが消失してしまい現在では

その痕跡すら探せないのではないのということです。

もし、本当に縄文時代の人々が現代以上のテクノロジーを有していたならそのすべてが残って

いると思うのですが、波動の原理から考えると縄文時代の人々は波動が高い時代でありそこで

使われている物質や道具は高い波動を持っていたと思います。ところが時代が弥生時代になる

につれてどんどん波動が下がり、そのような波動の高い物質はそこに存在し得ないのではなかった

のではないだろうかと考えるわけです。そのため、住む世界も変化し縄文の人々がそこから去ら

ざるを得ず、残ったのは弥生の人々の波動に共振した波動が下がった人たちと言うことです。

それまであったテクノロジーはすべて失われてしまったので、彼らは再度文明を立ち上げなければ

ならず、それが狩猟生活や竪穴式住居になって残っているのではないかと言う考えです。

私の想像力が当たっているかどうかわかりませんが、その可能性もあるだろうとは思います。

さくやさんがいつか話していたように、地下に潜ったじょうもんの人たちにもう一度出てきてもらい

再度、波動を高めるために世界各地に散らばってもらったという話もそういう観点から考えると

つじつまが合うのではないでしょうか?









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