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縄文人はその昔アメリカに移住していた? [アセンション]

縄文人についてはいまだよく知られていないというか、隠蔽されているようなところがあります。
下記のブログで縄文人について様々な角度から考察した内容が書かれていましたので紹介します。

これを読まれると、確かにさくやさんやシュタールが語っていた進化していた縄文人の姿が浮かび
上がってくるだろうと思います。

引用転載元→http://ameblo.jp/azkey/entry-11821280802.html

(ここから)

「南太平洋の島で発見された謎の土器」


1964年、日本からおよそ5000キロ離れた南太平洋に浮かぶ島・バヌアツ共和国で、
ある考古学的に貴重な発見がなされた。

共和国のある島で、古代文化を研究中だったフランスの考古学者が、

ヤムイモ畑で土器の破片をいくつも発見した。
その中に、バヌアツの土器に混じって、風変わりな模様のものが見つかったのである。
その模様とは、何かを押し付けたようなもので、規則的に並んでいたという。
この奇妙な土器の破片は14点あった。

土器の専門家でもある博士は、これが何であるか分からなかったという。
この奇妙な土器はバヌアツだけでなく、周辺の島でも見つかった未知の土器のかけらであった。
その土器の破片は、太平洋考古学・ハワイビショップ博物館に持ち込まれ、調査された。
その結果、この土器は日本の縄文式土器であることが判明した。
縄文式土器の特徴である縄目模様とバヌアツで発見された奇妙な土器はよく似ていた。
この土器の正体とは一体何であろうか。


アメリカ・アリゾナ大学で土の分析が行われ、

ミクロパーライトという鉱物が含まれていることが分かった。
しかし、ミクロパーライトは、バヌアツ周辺の土には含まれない。
つまりこの土器は、バヌアツ周辺で作られたものではなかったのである。
さらにイギリス・オックスフォード大学で年代測定を行ったところ、
奇妙な土器が作られた年代は、およそ5000年前にさかのぼるという。
5000年前に作られたもので、ミクロパーライトを含む土で作られた縄文式土器は、
果たして存在するのであろうか。


調査の結果、同じ成分を含む土で作られた縄文式土器は、存在していたのである。
その土器が出土した場所は青森県周辺であった。
バヌアツで発見された謎の土器は、日本の青森県周辺で出土した土器、

そのものであったのである。
つまりバヌアツで発見された奇妙な土器は、青森県周辺で作られた土器で、
何らかの理由で、バヌアツまで持ち込まれたというのである。
この土器をバヌアツに運び込んだ経緯とは一体何であろうか。



「縄文土器がなぜ南太平洋の島に?」

南太平洋の島々や南米には、植民地時代から多くの農園がある。
これらの土地を管理する白人たちは、入植した広大な土地から土器などが出土するために、
土器収集家が少なくないという。
その白人たちが持っていた土器が、

何らかの理由で農園に紛れ込んだのではないかとう疑問も起こる。
しかし、出土したその村には入植者はなかったというのである。


またもう一方で考えられることは、荷物運搬船は、荷を降ろすと船体は軽くなり、
バランスをとるために、船底に土砂を入れ、
荷済みの際にそこで土砂を捨てるということをやるそうである。
つまり荷をおろし、空になった船がバランスをとるために日本の土砂を積み込み、
荷積みのためにバヌアツで土砂を捨てたことも考えられる。
その中に土器の破片が偶然紛れ込んでいたのではないかとの推測である。
しかしながら、バヌアツでは、運搬船が土砂を捨てたという記録はないという。
これによって、土砂に紛れ込んだ土器がこの地に運ばれたという説は否定された。
ではなぜ5000年前に青森で作られた土器がバヌアツにあるのだろうか。
土器を製作した縄文人が、バヌアツまでどのように運んだというのか。


この土器がつくられた5000年前は、世界の4大文明がようやく誕生した時代である。
このような時代に縄文人が5000キロも離れたバヌアツまで、
海を越えて渡ってこれたのであろうか。

ところが、これと同じような土器が他でも発見されたというのである。
それは南米エクアドルである。5000年前にそんなバカなことはあり得ない。
日本から1万5000キロも離れた南米エクアドルにどうして…?


「縄文土器がなぜ南太平洋の島に?」


南太平洋の島々や南米には、植民地時代から多くの農園がある。
これらの土地を管理する白人たちは、入植した広大な土地から土器などが出土するために、
土器収集家が少なくないという。
その白人たちが持っていた土器が、

何らかの理由で農園に紛れ込んだのではないかとう疑問も起こる。
しかし、出土したその村には入植者はなかったというのである。


またもう一方で考えられることは、荷物運搬船は、荷を降ろすと船体は軽くなり、
バランスをとるために、船底に土砂を入れ、
荷済みの際にそこで土砂を捨てるということをやるそうである。
つまり荷をおろし、空になった船がバランスをとるために日本の土砂を積み込み、
荷積みのためにバヌアツで土砂を捨てたことも考えられる。
その中に土器の破片が偶然紛れ込んでいたのではないかとの推測である。
しかしながら、バヌアツでは、運搬船が土砂を捨てたという記録はないという。
これによって、土砂に紛れ込んだ土器がこの地に運ばれたという説は否定された。
ではなぜ5000年前に青森で作られた土器がバヌアツにあるのだろうか。
土器を製作した縄文人が、バヌアツまでどのように運んだというのか。


この土器がつくられた5000年前は、世界の4大文明がようやく誕生した時代である。
このような時代に縄文人が5000キロも離れたバヌアツまで、
海を越えて渡ってこれたのであろうか。

ところが、これと同じような土器が他でも発見されたというのである。
それは南米エクアドルである。5000年前にそんなバカなことはあり得ない。
日本から1万5000キロも離れた南米エクアドルにどうして…?


「南米エクアドルで縄文土器が発見?」


アメリカ・スミソニアン大学の博士は、エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、
日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというのである。
その一つを年代測定すると5500年前のものだったという。
土器の模様は、九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていた。
しかし、出土する土器の成分は、日本の縄文土器とは違い、

エクアドルの土から作られたものであった。


アメリカ・スミソニアン大学の博士は、ある仮説を提示した。
それは、今から約5000年前に縄文人が南米エクアドルへ、
移動してきた可能性があるというものだった。
エクアドルで発掘されたものは、日本の縄文式土器そのものではなく、
その土器を作った人が、ここまで来て作ったとしか説明がつかないというのである。


もちろん、その時代に同じような文化が偶然生まれたとも考えられる。
しかし、日本の縄文式土器とエクアドルの作られた土器の時代を見ると、
日本の土器はおよそ1万4000年前に起こり、
簡単なものから徐々に複雑な模様に変化していった歴史がある。
これに対してエクアドルの土器は、バルディビアで発掘された土器は、
5500年前に発掘されたものが最古で、
しかもその土器はある程度発達した日本の土器と酷似している。
つまり、エクアドルで1番古い土器は、簡単なものから複雑化する、
過程の全くない複雑なものだったのである。
もし当時のエクアドル人が土器を作ったとすれば、
このような複雑な模様は生まれなかったはずだという。
このことからエクアドルの奇妙な土器は、日本から運ばれたのではなく、
縄文人がエクアドルへ移動してきて土器の文化を伝えたと考えればごく自然なのである。

だが縄文人といえば竪穴式住居に住み、森でシカやイノシシを追う狩猟民族のイメージがある。
当時は温暖化が進み、5000年前の日本は海に囲まれ、
陸づたいにエクアドルにたどり着くことは不可能であった。
だとすれば、どうやって縄文人はエクアドルにたどり着いたのであろうか。


「縄文人は海人集団だった」


1993年、縄文人がエクアドルに渡った方法を予感させる遺跡が発見された。
青森県・三内丸山遺跡である。
縄文文化はそれまで大きな村はなく、その規模は竪穴住居が6~7軒の、
集落があるだけだと考えられてきた。
ところがその常識をくつがえし、三内丸山遺跡は、100軒の建物に500人くらいが、
暮らせる可能性があったことが分かった。我々の抱いていた縄文人のイメージとは全く違う。
その暮らしは豊かで優れた文化を持っていたことが裏付けられたのである。


さらにその遺跡の発掘によって、予期していなかった縄文人のある秘密が明らかになった。
この三内丸山遺跡からは、タイやマグロ、ニシンやタラなどの魚の骨が発見されたのである。
これらは太平洋を流れる千島海流や日本海を流れる対馬海流に乗ってやってくる魚たちである。
つまり5000年前に、太平洋や日本海の荒海に漕ぎ出す、
優れた航海技術を持っていたことを物語っているのである。

そしてさらに縄文人が高い航海術を持っていたことを裏付ける決定的証拠が発見された。
それは黒曜石である。
黒曜石は、石などで割ると刃物のような状態になり、石器時代から縄文時代にかけて、
日本全国でナイフとして使われてきた。
この日本各地から発掘される黒曜石を成分分析したところ、
なんと伊豆七島の神津島の黒曜石と一致したのである。
この事実は、縄文人が伊豆七島の神津島と本州を行き来していたことになる。
さらに韓国・松島(そんど)貝塚から発掘された黒曜石は、佐賀県・腰岳産のものであった。
縄文人はなんと韓国まで移動していたのである。
縄文人たちは、優れた航海技術を持ち、かなり広範囲で漁や海洋交易をしていたのだ。
なんと縄文人は、海を生活圏とする海人集団だったのである。


「縄文人の舟の検証」


これらの研究をもとに、スミソニアン研究所の博士は、驚くべきさらなる仮説を唱えた。
「縄文人がエクアドルに移動したルートは、陸ではなく海を渡った可能性が高い」と。
なんと大陸を渡ってきたのではなく、舟でエクアドルへやってきたというのである。
縄文人が陸伝いにやってきたとすれば、そのルートの途中に土器が発見されるはずである。
しかし、この土器が発見されるのは、唯一南米大陸のごく限られた場所でしかない。
このことから縄文人が海を舟で渡ってきたと考える方がつじつまが合うというのである。
だが、仮に縄文人が海に親しんでいたとしても、
果たして5000年前の航海技術でエクアドルまで渡ってこれたのであろうか。


日本の縄文人が1万5000キロ離れたエクアドルまで舟で渡った可能性がある?
5000年前に? 本当にエクアドルまでたどり着くことができたのか。
舟・ルート・食糧などの検証を追ってみることにする。

●舟の検証
1995年、千葉県多古町の遺跡から縄文時代の完全な形の丸木舟が発掘された。
その長さは7.5メートルで、丸太をくり抜いた丸木舟で、
両側に浮子のついたアウトリガータイプのものであった。
しかし、この舟で1万5000キロの太平洋を横断できたとは到底考えられない。
台風に遭遇したらひとたまりもないであろう。
そこで、運輸省船舶課に協力を依頼することにした。
出土した丸木舟と全く同じ形のものを10分の1サイズ、つまり75センチのモデルを作り、
台風時の波5メートルを想定して、波の高さを50センチに設定して、
この丸木舟モデルが台風に耐えられるかをテストしてもらうことにしたのだ。
結果は、台風時の波を難なくやり過ごして浮かんでいた。
アウトリガー式の舟は、一見不安定そうに見えるが、
遠洋航海に十分耐え得る能力を持っていたのである。
何と縄文人が使用したアウトリガー式丸木舟は、
1万5000キロも離れたエクアドルまで渡れる能力を持っていたのだ。


「ルートと食糧の検証」


縄文人が例えエクアドルにたどり着いたとしても、
それは彼らがエクアドルを目指したのではなく、
海流に乗って偶然たどり着いたのであろう。


●「ルートの検証」
ではエクアドルまで辿り着ける海流が存在するのであろうか。
エクアドルまでたどり着ける海流は、3つほど考えられるという。
・その1:黒潮から北太平洋海流に乗り、サンフランシスコ沖にたどり着く。
     それから陸伝いに南下して南米エクアドルへたどり着くルート。
・その2:黒潮反流に乗り、フィリピンを迂回して赤道反流に乗り、陸伝いに北上して、
     エクアドルに着くルート。
・その3:2つ目のルートと同じ黒潮反流に乗り、フィリピンを迂回し、そのまま島伝いに、
     到達する方法である。


これらの海流に乗れば、エクアドルにたどり着けるという。
また3つ目のルートに乗れば、バヌアツ共和国へも到達できる。


●「食糧の検証」
海流のスピード、風力、カイを漕いで得られるスピードを計算すると、
アウトリガー式の丸木舟で、日本からエクアドルまで約6ヶ月で到着できるだろうという。
この6ヶ月間、食糧や水はどのように調達できるというのであろうか。
海洋冒険家の堀江氏は、「魚は舟の陰に集まってくるので、釣り針さえあればすぐに釣れる。
また水は10日に1度の割合で雨が降るので、溜めるものさえあれば問題はない」という。

海に生きる縄文人にとって、海は恐れるものではなく身近な存在だったようで、
彼らの航海技術をもってすれば、エクアドルに着くことは何の問題もなかったのだ。
バヌアツで発見された縄文土器、エクアドルで発見された縄文土器。
どちらも縄文人が驚異の航海術を持っていたことがこれで判明したのである。
では一体なぜ危険を冒してまで、縄文人が日本を離れ、
エクアドルやバヌアツまで渡らなければならなかったのであろうか。

(ここまで)

ここまで読まれておわかりのことと思いますが、丸木舟で南米まで行けたとしても、船を航海

させるためには、天文学的な知識が必要になります。方位を調べたどり着くために星座に基づく

船の座標を確定する技術が必要になるからです。現代のように照明もコンパスもなかった時代に

どうやったら7メートル弱の丸木舟で南米エクアドルまで到達できるのか?

考えればわかることです。すでに当時の縄文人は卓越した航海術を持っていたということです。

天文学を理解するにはそれ相応の科学技術がないといけないと言うこともわかりますね。

測量技術も当然必要になります。


このようなことは一切遺跡を発掘した資料からは出てきません。驚いたことに当時に縄文人は

栗を栽培していたというのですから、農耕技術もそれなりにあったということでしょう。

つまり、遺跡発掘後の描かれている住居の姿などは嘘くさいということです。




また、稲作は弥生時代から始まっていたとされていますが、実は縄文時代からすでに始まっていて

しかも水田を必要としないものだったようです。そして、世界で一番最初に土器を発明したのは縄文人

であって、年代測定法で1万6千年前とされている。メソポタミア文明の土器は約1万年前です。

そして、驚くことに縄文土器にはセラミックに近い焼き入れがあったこと、漆塗りが使われていたこと

などがわかっている。

http://www.shundaichi.com/270052229012434277141241712383322602599120154.html


このことから、古代日本こそが文明発祥の地だった可能性があるということです。

そんなことを知られたら、全世界の人々(特に欧米人)にとっては晴天の壁列であり、認めたくとも

絶対認めたくないものなのだろう。だから、そのような情報が隠蔽されているとみた方が良いようです。



最後に、1万6千年前の地球はすべて陸続きだったという切があります。今の地球は当時の地球が

何らかの要因で拡大した結果として大陸が離ればなれになった姿だというものです。その説を考慮

すると、日本大陸は南米大陸と陸続きだった可能性が出てきます。だから、南米エクアドルなのかも?



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コメント 3

TS

何年か前、この内容のTVを見たことがありました。

アウトリガー式の舟の模型のテストに驚きました。

高波や横波にとても強く、安定していました・・・。

今後、縄文時代の真実が次々と明るみになればいいと
思います。

ネットでも明治維新が正しかったのかどうかの検証や
事実がどんどん出て来ていますね。
by TS (2015-11-14 01:19) 

ada755

TS 様

当時の舟を作る技術は今より優れていたようですね。大型船のようなものでなくとも、かなり安定した舟を作るには相当の知識が必要だったはずです。

明治維新が正しかったかどうかもありますが、今注目されているのが天皇の入れ替わり説ですね。この時期から日本の政治がある勢力に支配されて現在に至っていることが知られ始めているようです。

これからはこうした情報をどのようにとらえて行くかが日本人としての方向性に変化をもたらすと思います。


by ada755 (2015-11-16 05:20) 

山田岳大

彼等の伝承(云い伝え)に触れてない事に若干の不満があります。
彼等が今でも海から離れた山の中で生活しているは、先祖からの伝承に依るのだそうです。
その伝承によると、彼等の先祖が住んでいた土地で海から火柱が上がり、皆散り散りで逃げ出し、陸地に到達しても尚、海から上がった火柱の恐怖から少しでも海から離れた場所へ場所へと逃れ逃れ、結果エクアドルの山奥に辿り着いたとゆうものでした。
本文でも触れられていた土器の時代測定等を考えるに、喜界カルデラが形成された薩摩硫黄島でのカルデラ噴火がまさにそれとしか思えません。今から6500年前の事です。
私が知る限りでは、エクアドルの縄文文化と題した科学誌、今から10年以上前と思うのですが、彼等のDNAを調べた結果、アイヌの人達と限りなく近いとゆう事でした。ただ、当時はゲノム解析も現在ほど進んではおらず、ミトコンドリアからの解析で、母系の遺伝子情報のみという事で学者の方々も明言はしていませんでした。現在はゲノム解析の研究も当時よりはるかに進歩してる筈なので、さらなる新情報を待ちたいです♪因みに、縄文人と日本人に関してもう1つ、最近、縄文人の核DNA解析に成功したらしく、東アジア人と東南アジア人に枝分かれする以前、つまり、源アジア人の時に形成されたとゆう事でした。それにより、現在の私達日本人は渡来系弥生人と縄文人の混血により、遺伝子的に東アジア人である中国人や韓国人、東南アジア人であるベトナムやミャオ族とは遺伝子的に離れているのだそうです。興味があれば御覧になられては如何ですか?
悠久の時を超えて、私達の祖先はいずれにせよ海を渡り、命懸けで新天地を求めて。
考えるに尽きないです。
いつか私達の子孫が恋に落ちて子を成したら、共通のご先祖さんになれるかもですね。
絶対は、 母から生まれ いつか命が尽きるだけ
by 山田岳大 (2017-01-31 12:52) 

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