これは浅川嘉富氏のホームページに掲載されているもので、以前も紹介したことが
ありますが再掲しておきます。


No1都築氏の不思議な体験

http://www.y-asakawa.com/Message2011-1/11-fushigi-taiken1.htm

9月14日に掲載した「不思議な体験」を記憶しておられるだろうか? 記憶が薄らいで居られる方は前回の記事をもう一度読み直してから先に進むようにされた方が理解しやすいかもしれない。というのは、今回、掲載しようとしているアメリカのロスアンゼルスにお住まいの都築純さんという男性の体験談は、常識ではなかなか理解しにくい大変奇妙な体験談であるからである。

ご本人のご許可を頂いたので、5回シリーズで掲載させて頂くことにしたが、都築氏の体験談は、読者にとって「並行宇宙」と呼ばれる「パラレルワールド」をより身近なものに感じる、一つの貴重な機会になる のではないかと思われる。

前回、「不思議な体験」でご紹介した例は、山本加世子さんという石川県の特別支援学校(養護学校)の先生が、人生に迷ったある卒業生の青年を説得し自殺を思いとどまらせたのだが、 山本さんご本人はまったくそうした記憶が残っていないという不思議な体験談であった。

それと併せて紹介したのが、夫婦で散歩をしているある女性が偶然前方を歩いている友人を見つけた瞬間、いつの間にかその女性と歩きながら談笑をしている自分に気づき、 驚いて後方を振り返ると、ご主人と一緒に歩いているもう一人の自分の姿が見えたという事例であった。

今回紹介する都築純さんもそれによく似た体験をしておられるので、まず最初にその体験談からご紹介することにしよう。ゴシック体は彼が綴った文章であるが、一部に私が文意を分かりやすくするために、加筆、修正している部分があることをお断りしておく。


最初の体験は、10代の頃(1970年代)に 何回か体験したものです。
それは、私がバイクで事故を起した同じ時間に友人の家の庭に革ジャンを着た私が立っていたとか(事故自体は単なる打撲傷程度の軽いものでした)、夜中にガールフレンドの家の階段をトントンと上って彼女の部屋に入った後で跡形も無く消えたりという体験でした。(両方とも、私はその場へ行っていません)

次なる体験は20代の頃のものです。
当時アパートで同棲していた彼女が、数日続けて毎朝誰か(私の他には考えられない)に起され、しかも毎晩誰か(私の他には考えられない)が夜中に歯を磨き、トイレでタバコを吸ったらしい形跡が続いたのです。

ところが、私には夜中に歯を磨いたりトイレでタバコを吸ったりした覚えも、朝彼女を起した記憶も「全く」無いのです。夢遊病などの何らかの精神疾患かと本気で心配したのですが、ある朝、起されている最中に彼女が目を開けると、目の前で上半身起き上がって 自分を起こそうとしている私の姿が目に入り、「なぁんだ・・・やっぱり【純】じゃない・・・」 と安心しながら目を移すと、枕に頭をつけて寝ているもう一人の私 が同時に見えたそうです。

つまり彼女は、彼女を起している私とまだ寝ている私の2体の私の姿を同時に見たというわけです。

(またもう一つの例では)、同じアパートで、彼女の弟が訪ねて来て泊まって行った翌朝、私はまだ寝ていたのに、服を着て玄関から出て行く私を弟が見 たのです。その後で、再びパジャマ姿で寝室から出てきた私を見て弟が大仰天したので理由を聞いたら、30分ほど前に服を着て廊下を歩いて玄関から出て行った私を見たと言うのです。

これらは、浅川様が先日HP「不思議な体験」で書かれたケースと同じように、想念という高次元の「何か」が3次元上で2つの場所に具現化した現象だと思うのです。

どうやら、ここに記した山本さんや都築さんたちの3つの事例は、Aという自分とは別の肉体を持った別の自分Bが同じ次元、同じ時間軸の中に存在し、自分(A)とは別の行動をとっ ていたということになるようである。

都築氏自身は「別の自分Bは、想念が造った別の肉体ではないでしょうか」と述べているが、 彼の体験談は冒頭に紹介した山本さんたちのケースとは、少々異なるように思えるのだ。 というのは、先の二人の女性の場合と違って、都築氏の場合は夜明けに彼女を起こしたり、早めに出かける必要性が見当たらないからである。

つまり、都築氏は特別の目的がないのに、ご自分の強い意志で、別の自分を造り出したとは思えないのである。いずれにしろ、なにゆえ別の存在が出現し て夜中に歯を磨いたり、朝、早めに出かけたりする必要があったのか、その理由がよく 分からなかったので、彼に何点かを質問してみることにした。

【質問】

あなた自身はタバコは吸われましたか?

はい。でも、吸い終わった吸殻は灰皿ではなくトイレの「床」に落ちていたのです。トイレに灰皿はありませんでしたが、タバコの吸殻を自宅トイレの「床」に捨てるなんて、常識的に考えられません。(僕なら便器に捨てて流すと思います)

歯ブラシと歯磨きチューブについては、不思議に思った彼女が毎晩歯ブラシをカップに入れて棚の上に置いたのを確認してから寝ていました。ところが、朝になると、僕の歯ブラシと歯磨きチューブだけが、(カップから出て)洗面台の上にあったのです。(こうした現象が4日くらい続きました)

弟さんが目撃したその日には、あなたは朝早めに出かけていく用事があったのですか?

いえ、ありませんでした。僕はリビングの奥の寝室、彼女の弟は玄関横の部屋で寝ていました。彼女の弟が寝ていた部屋はドアが開いていたので、廊下を歩いて玄関へ向かう僕の姿がはっきり見えたそうです。

その朝は僕にとっては、普段と変わらない普通の一日の始まりで、特に急ぎの予定があったわけでも、その日突発的に何か起きたという事もありませんでした。

都築氏からの返信メールを読むと、同棲していた彼女やその弟さんが目撃した人物は、 彼とは考えや行動の異なる存在であ ったことは間違いなさそうである。吸い殻の床への投げ捨ては都築氏には信じられないことだと言うから、なおさらである。

ただその容姿については、二人が目の前でその姿を見ているわけであるから、都築氏と瓜二つであったことは間違いないようである。それにしても、別人格が4日間も同室して同じような行動を繰り返していたという点は、前回掲載した山本さんたちの例とはかなり違ったケースのように思われる。
 

次回に掲載する事例は、同じ都築氏が経験したさらに驚くべき体験で、本人とはまったく別の人生を歩んでいると思われる、新たな別人B1、B2が登場することになる。


No2:パラレルワールドにいるもう一人の自分
http://www.y-asakawa.com/Message2011-1/11-fushigi-taiken2.htm

先のアパートでの目撃例は、この世に二人の自分が存在するという点では、山本さんや夫婦で散歩していた女性のケースによく似ているように思われる。そうした事例は 「想念が第二の肉体を作り、第三者と接触する」というケースとして、スピリチュアル系の本で時々紹介されており、ままある現象のようであるが、 都築純氏が経験した次の事例はそれとは「似て非」なる体験で、かなり特殊なものである。

どこが違っているかというと、山本さんたちの事例は、別の自分が存在したのは一時のことで、都築氏のアパートでの目撃ケースも4日間という限られた日数の中での出来事であったが、次なる事例は、出現した人物が長期間にわたってこの世界に存在し、しかもその人格は1体だけでなく、何体も出現しているように思える点である。しっかり読まれないと頭が混乱してくるので、流し読みはされない方がよさそうである。

先に紹介した事例は都築氏が20代の初めの頃 、1981年代の札幌市西区のアパートでの体験であったが、次はそれより1年ほど前に同じ札幌市内の北区の路上で起きた体験である。
 

中学時代からの友人夫婦がスーパーの駐車場から出ようと信号待ちをしている目の前を、私の車が通り過ぎ運転席には紺のパーカーで下に白いTシャツを着た私と、助手席に白いブラウスの髪の長い女性が乗っていたのを間近で目撃するという出来事が起きたのです。

私の車は、当時よく走っていた、白のカローラで4桁ナンバー といったポピュラーな車とは違って、こげ茶とベージュのツートンカラーのマスタングで、ナンバープレートがたまたま3桁でしたので、「見間違える可能性」はかなり低いと思います。

夫婦が共に、私の着ている服や同乗している女性の服・髪型まで確認するほどしっかり見たと言っていました。ところが、その日のその時間には、 私は、そこから数キロ離れた行きつけの喫茶店の駐車場に自分の車を止めたまま、白いTシャツに紺のパーカーを着て半日ほど喫茶店で雑誌を読んだり世間話をしていたのです。 それに、白いブラウスの髪の長い女性にも全く心当たりはありませんでした。
 

どうやら、友人二人が目撃した都築氏の服装は本人のものと合致するようだが、白いブラウスの髪の長い女性はまったく知らない女性であり、同乗させた記憶もないというわけである。

この奇妙な目撃劇があった翌年の1982年に東京世田谷区のアパート在住に引っ越したあとにも、札幌の友人から電話で「札幌に来ていたんだって? どうして俺のところに寄って行かなかったんだよ?」と電話があったこともあったというから、別人B氏は札幌市内で一度や二度でなくかなりの頻度で目撃されていた可能性が高いようである。

 

さらなる不思議な体験


その数年後、わけあって沖縄(コザ)で1年過ごしましたが、そこでも同様な体験をすることになったのです。その時には、例えば後ろから アメリカ人女性に声をかけられて振り向くと「あら、【 Jun(純)】じゃない・・・・ 久しぶりねぇ・・・・ 元気だった?」と言われるのですが、その女性には「全く」見覚えがないのです。

また、路上でまったく知らない数人の若者に「おーい、Jun!どこ行くんだよ?」と声をかけられたり(全員、見覚えがありません)、基地の公園でベンチに座っていると 、隣に座った空軍兵士が「よっ、Jun・・・ 何してるの?  ところで彼女どうしてる?」とか・・・・この時には30分近くベンチで話をしていましたが、彼は一向に「あれっ、人違いだったかな?」というそぶりは見せませんでしたし、 彼の話しぶりからすると、かなり前から彼は(もう一人の)私の友人だったようです。

逆に、行きつけの喫茶店のウエイトレス(日本人)が、「あなたが赤ん坊を抱いた一人の女性と古着屋にいるとき、その目の前に立ったのに知らん振りされた・・・」と言うのです。 私はその古着屋も知りませんし、赤ん坊も知りません。

つまり、非常に近い友人たちが間近で見ても人違いだと気が付かないほど、顔・髪型(当時の私は相当な長髪でした)、衣服・しぐさなどが酷似している人が同じコザに居て、その人の名前がたまたま僕と同じ純(Jun)だったという 「可能性」はゼロではありませんが、かなり低い確率ではないかと思います。
 

【質問】

札幌で中学時代の友人夫婦に見間違えられた時、あなたは喫茶店にいたそうですが、その時の様子をお話し下さい。また、それはいつ頃のことですか?

年は1980年です。その時に僕は、札幌の行きつけの喫茶店に居ました。(車はその喫茶店の駐車場に停めていました) 友人夫婦が見たのは、その喫茶店から1キロほど離れた札幌市北区のスーパーの交差点です。(信号待ちで止まっている彼らの目の前を通り抜けて行ったので、運転席と助手席の人物の着ている服や髪型までよく見えたそうです)

この日も、特に何か特別な事が起きたとか、僕の意識が何かに集中していたという事は有りません。普通に喫茶店でコーヒーを飲みチャーハンを食べ、雑誌を読んで暇つぶしをしていただけです。


どうやら都築氏が20代の頃に友人夫婦に目撃された人物は、当時、白いブラウスを着た髪の長い女性とおつきあいをしておられたようであるが、そうした女性は彼にはまったく見覚えがないというから、目撃された人物は都築氏の別の人格(B1)であると考えるしかなさそうである。

となると、1年後にアパートで同棲者とその弟さんに目撃された人物も、場所が同じ札幌市内であったことを考えると、B1と同一人物であったのかもしれない。それにしても、別人格者B1が単に容姿が似ていたというだけでなく、同じ時刻に都築氏が着ていたのと同じ紺のパーカー の下に白いTシャツを身に付け、同じ車に乗っていたというから不思議である。

また、1984年から85年にかけて沖縄に滞在中に体験した事例を読むと、沖縄に存在していたもう一人の別人格者(B2) の交際相手は日本人女性ではなく、アメリカの白人女性兵士であったようである。それに子供をもうけていることを考えると、彼女とは大分長い間おつき合いをしていたようであるから、札幌で何回か目撃されたB1とは違う存在 だと考えざるを得なくなってくる。

空軍の兵士も、「話しぶりからすると、かなり前から(もう一人の)私の友人だったようです」と、都築氏自身が述べている 。

いずれにしろ、この沖縄のケースでも、公園のベンチで一緒になった空軍の兵士が30分間も隣り合って話をしていながら、最後まで人違いであることに気がつかなかった点を考えると、B2氏 の風貌は都築氏本人と瓜二つであったことは確かなようである。

それにしても、なんとも不思議な話であるが、都築氏本人はそうしたご自身の体験についてどのように考えているのだろうか?

これらの現象は「共通の(一つの)想念が、2つ自分を物体化する 」という先の札幌のアパートでの現象とは違って、同時進行する並行社会(パラレルワールド)で、それぞれの人生を歩む2人の自分が、世界線の境界がゆるんでお互いに相手の世界に(一時的に)迷い込んでしまった例ではないかと思うのです。

つまり、ワールドB(別な世界)では白いブラウスで長い髪の女性のパートナーが居る僕が、自分の服を着て自分の車で道を走っていたら、理由は不明ですがワールドA (現実の世界)の僕の友人夫婦がワールドB(別な世界)の僕を目撃した。

沖縄にも、たまたまワールドAの僕とワールドBの僕が同時に生活していて、 ワールドBの僕とつきあっていたワールドAの友人がワールドAの僕に声をかけたり、ワールドAの僕の友人(ウエイトレス)がワールドBの僕に出会って無視されたり・・・という事が続いていたのではないかと感じています。
 

確かに、都築氏の今回紹介した二つの事例は、彼自身が解説しているように、 パラレルワールド(並行世界)にいるもう一人の人格B1、あるいはB2が境界線がゆるんでこの世界にやってきたと解釈するしかないように思われる。

それでは、都築氏が今この3次元世界に生を得て魂の学びを体験している同じ時間軸の中で、なにゆえ別の人格B1 、B2がわざわざ地球に酷似した世界で学ぶ必要があるのだろうか? それについては、B3なる第3の人格の存在する可能性も含めて、次回で考察してみることにしよう。
 

No3:アメリカにおける体験
http://www.y-asakawa.com/Message2011-1/11-fushigi-taiken3.htm

都築氏は1986年に日本を離れてロスアンゼルスに行かれたようであるが、その後、渡航先のアメリカでも同様な体験が何回か続いたようで、渡米して8年後の1994年には次ぎのような体験もしておられる。

アメリカへ来てからも、2度ほど同様の経験があり、一度は日本語を流暢に話すアメリカ人女性にレストランで声をかけられて、NHKで一緒に仕事をしていたと言うのです。でも、私は既に渡米8年目でNHKでその女性と一緒に働いていた事はありませんでした。

丁寧に「いえ、お会いした事は有りませんから人違いではないですか?」と申し上げると、彼女は「どんな理由があってそんな子供だましみたいな嘘をついて私の事を知らないと言うのよ?」とでも言わんばかりに、非常に立腹してしまったようです。

ロスで声をかけてきたこの女性も、都築氏が知人と食事をしている近くの席で1時間以上も彼の様子を眺め続け、食事が終わってから声をかけてきたいうから、その女性も見間違えたということはなさそうである。

ロスに出現した別人格者は沖縄にいたB2である可能性もあるが、もしかすると、この人格者もまた別人格者でB3なる存在かもしれない。そうなると、本人以外に3人の別人格者が登場することになりますます混乱してくるが、その謎を解く鍵は、人生に於ける折々の選択肢の後、 選択したのとは別の人生をパラレルワールドで体験するという「多重人格説」の中に隠されているようである。(この点は後で触れる)

これまでの話をお聞きして不思議に思ったのは、どの体験もみな女性が絡んでいることであった。その点を都築氏に話したところ、彼も私と同じ点に感づかれていたようで、次のような返信メールが届いた。

興味深いのは、浅川様も書かれていたように、私の体験談には常に「女性」が関連してきます。

もう一人の「純」を目撃したケースでは女性が多く(高校時代の彼女、同棲してた彼女、沖縄の古着屋で僕を見かけた友人女性)、また、目撃された時に僕と一緒にいたのも、女性(札幌で助手席に乗っていた髪の長い女性、沖縄で赤ん坊を抱いた白人女性)の場合が多いのです。

沖縄の公園で後ろから声をかけられて「あら、Junじゃない・・・久しぶりねぇ!」と言われたのも知らない白人女性ですし、ロス(ビバリーヒルズ)のレストランで声をかけて来たのも女性です。

しかし、女性だけが彼の別人格を眺めたわけではなく、同棲者の弟や車から目撃した友人や、沖縄の兵士のように男性も目撃しているわけであるから、不思議な体験を女性の面からひもとくわけにもいかないようである。

ただ、女性の方が感性が鋭い面があることを考えると、目撃者に女性が多い点は頷ける面があることは確かである。私が『2012年アセンション最後の真実』(学研刊) の中で紹介している、頭部が半透明の人物を2回にわたって目撃した人物も、3人とも女性であった。
 

様々なパラレルワールド
 

いずれにしろ、都築氏が知ることになった別の自分の存在を理解するには、この世と並行して存在しているパラレルワールドの存在を受け入れないわけにはいかなくなってくる。しかし、ここで登場するパラレルワールドは、ペトル・ホボット氏が対談本『UFO宇宙人アセンション』の中で語っているそれとはまた少し状況が違うように思われる。

というのは、一般的に言われるパラレルワールドは我々が今住んでいる世界とは波動が違う世界と考えられているからである。だからこそ、この世と並行して存在できるわけであるが、 都築氏が体験したB1あるいはB2、B3が住む世界は決して波動が大きく違う世界ではなさそうである。

というより、この世界となんら変わらない世界であるようだ。なぜなら、この世と同じ車が走っており、食べるものも同じであったり、また容姿そのものもまったく変わりがないように思えるからである。

となると、このパラレルワールドはどういった形でこの世と重なって存在することが出来ているのだろうか? その点がなんとも理解しにくい点である。ただ、 わずかな波動の違いの世界が幾層にも重なって存在することもあり得ないわけではないので、地上界とほとんど同じ世界が並行して存在しているのかもしれない。

次のような「多重人生論」的な観点から考えると、こういったパラレルワールドが実際に存在していても、なんら不思議でないように思えるのである。 それでは次ぎに、皆さんが普段あまり考えることのない「多重人生論」についてはお話しすることにしよう。

 

分離した意識が別の人生を歩む

人は人生を歩んでいく際に、さまざまな場面で重要な選択を迫られる状況に遭遇する。例えば就職一つとっても、Aという会社に入って都会でサラリーマンとしての人生を歩むか、農業に従事して自然の中で過ごすか、あるいは日本人女性と結婚して平凡な一生を送るか、外国の地で、他国の女性と結婚して波瀾万丈な人生を歩むかなどである。

このように、人はその際の選択肢いかんによっては、その後の人生は大きく異なり、180度方向の違う別の人生を歩むことになる。それゆえ、人はよく 「あのとき別の選択をしていたら、さぞかし違った人生を体験したことだろうな~」と、考えることがあるのだ。

しかし、『天国を旅するスーザンからのメッセージ』(中央アート出版社刊)には、人は別の選択をした場合の人生もパラレルワールド(並行宇宙)で同時に体験することになるので、死後に、そうしたすべての人生体験を知ることが出来るということが書かれていた。

どうやら、人間は自分の人生の岐路に差しかかるたびに、意識の一部が分離して別の選択肢の人生も同時に体験しているようである。もしそうだとしたら、 都築氏が知らされたB1、B2、B3・・・・・の存在は、彼の意識が分離して体験している別の人生の姿だったのではないだろうか。

そうした見方も、可能性の一つとして考えられるように思われるのだが、いかがなものだろうか。ただ、この考えは私の仮説に過ぎないので、そんな考えもあるかもしれない程度に軽く聞き流しておかれた方が宜しいかもしれない。

いずれにしろ、そうしたときのB1、B2、B3 が歩む世界は、あくまでこの世と同じ条件の世界であるから、3次元世界とあまり波動の違う世界ではなさそうである。それでは、そういったこの世に瓜二つの世界はどのような形で、この世と共存しているのだろうか?

そうした世界はやはりスーザンからのメッセージに書かれていたように、この世界に並行するわずかに波動の異なるパラレルワールドなのだろうか? それとも パラレルワールドとは別世界で、想念が作り上げた実際には存在していない架空の世界なのだろうか? しかし、B1、B2がこの世に何度も出現していることを考えると、 実際に形のある世界のように思われるのだが。

どうもその点が今の私にはもう一つ理解できないところである。パラレルワールド間の移行だけでなく、都築氏が考えているように、タイムトラベルに出てくる「時間移動」なども併せて考えないと、理解できないのかもしれない。 この点は、次ぎにペトル・ホボット氏が来日した際にでも聞いてみようと思っているが、それにしてもなんとも不思議な体験談である。

ところで、都築氏の分離した意識、つまり別の人格B1、B2、B3は通常ではあり得ないはずなのに、なぜこの世にしばしば出現し、長い時間を過ごすことが出来たのだろうか? また、彼らは今もなおこの世界への出入りを続けているのだろうか? 次回は、その謎を解く都築氏の少年時代のUFO体験についてお話しすることにしよう。

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いかがでしょうか?
今回紹介したケースは前回の入れ替わったのと異なり、同時に存在するケースです。
これにはおそらくその人の持つ波動が関係しているのではないだろうかと思います。

また、文中”赤字”で強調した部分についてであるが、選択はすべての人が行っていて
選択した場合でも選択しなかった場合でも同時進行でその人生が展開され、死後に
どちらの人生も体験として知ることができるという部分にこの宇宙の成り立ちの断片を
垣間見た思いがした気がしました。


続く


パラレルワールドについて過去記事

パラレルワールドについて(1)「シンクロニティについて」
パラレルワールドについて(2)「同期振動について」
パラレルワールドについて(3)「フレームレートについて
パラレルワールドについて(4)「実例体験その1」