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noteより「かつては金星も地球のように末期的状況だった」 [アセンション]

noteより「かつては金星も地球のように末期的状況だった」


地球から見える金星もかっては今の地球と同じような状況だったようです。

その金星の姿を変えたのは民衆のパワーでした。

民衆が貪欲さとか形あるものへの執着を捨て、自分たちの考える安住の地へと

移動し始めたのがそのきっかけだったようです。

その後はそれまでの支配層はなし崩し的に崩壊していったそうな。

大変、参考になる話ですね。




<ここから>


こんにちは! のーとです。今日は金星を参考に、ちょこっと地球のことを考えてみます。

そもそも金星に人いたの!?ってところからの人もいると思いますが、いるんですね?笑 金星人が書いた本があるのですよ!下の方に案内があります。


戦争で都市が崩壊

かつての金星も文明が栄えては衰えて、科学が進歩しても崩壊や文明もに崩壊したようです。科学的な知識が増すにつれて、精神的な法則へのこだわりが弱くなっていったそうです。人々の生き方がどんどんネガティブになり、人間同士の戦争や対立が激しくなって、かなりひどい状態だったみたい。下層の人に対する搾取があまりにも徹底されてたから「革命」を起こすしか手段がなかったそうです。でも国っていうのがなくて、都市ごとに行政がありました。

肌の色は同じ人種が住んでいたので、人種差別のような民族間の争いは一度もなかったようです。

何で戦争していたかというと、都市同士や同盟都市同士での戦争でした。惑星政府を樹立するための争いですね!強い力を持った集団は自らの都市とその一帯を支配するだけでは決して満足せず戦争を仕掛けていました。

金星人の生活はというと、割とすぐ高度なエネルギー装置とテクノロジーが開発されて、磁気と太陽エネルギー装置とテクノロジーの新しいを使っていた様子。宇宙旅行も始まりました。

その後、核エネルギーと核爆弾は金星の社会を大きく変えたそうです。

もうやけくそになった各地の支配者たちが( *`ω´)お互いを核兵器で攻撃しあって破壊。その後は裕福な少数グループによって支配されるようになりました。(どっかでそういう状況見たような?・・・)民衆の命は支配者層集団にとってはゲームの道具でしかなく、支配層が大部分のお金と人々を長い間支配して来ました。下層階級にいるのは膨大な数の民衆達。(まさに私たち・・・?)

その頃の金星の街並みを見るとわかりやすかったようですよ。教育も受けられない最下層の人たちは、スラム街みたいな暗くて寂しい場所で暮らしていたんです。長い間、革命を起こそうといろいろ挑戦していたみたいですが、虚しい結果に。結局人々は支配層によってお膳立てされたゲームに参加し続けていただけだったから・・・

まさに、今の日本って感じ・・・お膳立てされたゲームのコマでしかない[あせあせ(飛び散る汗)]

社会の構造を大変革!

そうした中でも民衆の間で静かな反乱が、すべての都市で同時に起こり始めたんです。その時の民衆が思っていたのは、「もし、自分たちの策略が成功したとしても、自分たちは決して他の人々を支配する権利を持たない」ということを誓ったそうです。だけどその目的を達成するにはけっこう長い年月の過酷な努力と犠牲があった。今でいう、不審死っていうのかな。そういう風に反論するものは片付けられたのかもしれない・・・惑星規模の変革はやっぱり相当難しいみたい。一夜、や1ヶ月じゃできるものではない。。

民衆たちは目的に忠実な信頼できる人を政府機関に送り込むための活動をかなり熱心にやった様子。自分たちの擁立した政治的指導者たちを選挙で当選させて政界の上部に潜り込ませた、地道な努力です。(日本はそこまでも到達できていない状況・・・)権力者の意向を無視して民衆を自由に導かせるためにやったこと。かなり民衆の意向に沿ったキーマンが当選し、とうとうその日がやってきました。

金星人にとっては忘れがたい思い出の日になったそうです「始まりの時」

選挙で当選した民衆からの刺客、指導者たちは「政府」と「軍隊」を撤廃したんです。もう支配者は必要ない!って。それから人々は「衣料・食料」と、これから植える野菜の種だけを持って、あちこちの都市部から田舎町に移動しました。

あまりに荒廃した酷い都市も、自分の所有物も家も車も、これまでの古い生活スタイルを象徴するようなものは捨てました。(今でいうと、パソコン、スマホ、スマートスピーカーとかでしょうか?便利になった世の中で私たち地球人がそうなった場合何を手放せるのだろうか、、)金星人が目指したものは「シンプルな暮らし」

シンプルな暮らしを始めるにあたって、何をしたかというと、安住の地を離れたんです。もう保証なんてないんです。それでも、今までの支配された暮らしよりよっぽどマシ!って思っていたので、安住の地を離れて田舎に暮らすことを決めたのです。すごい勇気と信念ですよね!もちろん日常の便利さに愛着がある人たちもいたるわけで、都市部から出るのをためらっていたのだけど、結局、荒廃した街に取り残されてしまうよりは良いだろうとはわかっていました。

その頃には、お金持ちや権力者たちは立場が悪くなっていました。下層階級がもうこれまでの生活スタイルは完全に捨てちゃったわけですから、今更後戻りする気持ちなんてさらさらなくて、どうにかして今までの社会構造の中に残って金儲けしてやろうとか、権力握って牛耳ってやるんだとかはもう全く思っていなかったようです。

金星人たちは自分たちの力で新しい暮らしを始めようとしていて、権力者たちにとっては、その新しい暮らしでは権力も震えないので興味もないものになったようです。


その後、古い支配者に取って替わった、権力者思考のグループもいて、今までのシステムをそのまま生活様式やシステムを残して活動をしたのだけど、もう誰も見向きもせず衰退したと書いてあります。

もうここまでくる間に、民衆たちの意識がどんどん変わっていって、物質的な快適さとか、安定した既定の生き方はもう捨てて、自分自身の基本的な姿勢と物の考え方をガラッと変えたのです。貪欲さとか形あるものへの執着を捨てたんだそうです。

その後どうなったかというと、支配者層は孤立。誰も従わないし、政府も枯渇してるし、どうにもならず廃業。工場や従業員もいなくなった権力者も廃業。その時は誰よりも貧しい生活になったのだそうです。

企業も、広範囲で仕事をしていない会社は閉鎖に追い込まれたそうです、上にも書いたとおり、民衆たちはシンプルな自給自足の暮らしをしたくて、大挙して都市部から人が田舎に大移動したから。でも、民衆たちには今までの知識とテクノロジーはあるわけです(° ? °)?キラーン

一部反対派の支配層の人たちがコミュニティみたいなのを作ってみたのだけど、あまりにも人が少なく居心地が悪くなったものの、支配者層なりに進むべき道は変わらず、惑星を立ち去ることを選んだんだそうです。それで、その移住計画でどこの星に住もうかって探したときに、手短なところに「地球」があったわけです・・・。(移住先として好都合だったみたいです、地球[あせあせ(飛び散る汗)] それで支配したい人によってまた同じ状況に?!・・(??????) なんとまあ酷い話笑)

<ここまで>


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オレンジャーからのメッセージ「ステージを探せ」 [アセンション]

オレンジャーからのメッセージ「ステージを探せ」


(ここから)

おれはオレンジャー!

あなたは
あなたの本来の
ステージに立っているか

あなたが
どんなに
努力をしても

本来のステージに
立たなければ
あなたの真の力は
発揮されない

プロサッカー選手が
野球のバッターボックスに
立っても意味が無いように

あなたには
あなたの能力を
発揮できる
ステージが必ずある


あなたのステージを
本気で探して
みてごらん

あなたが
本来のステージで
美しく輝く姿を
是非見せてほしい

今日はこんなところだ
じや!

(ここまで)


未来のステージとは未来の自分はどうありたいか

どうなりたいかということですね。



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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:満足すれば執着しないのです」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:満足すれば執着しないのです」



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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^



「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

死ぬときは死にます。

死なない人はいません。

物質の身体を持って人間の経験をしている人は必ず死ぬのです。

少々長いか短いかはありますが、死なない人はいません。

どんなに富を持っていようとも、権力を持っていようとも

物質の身体は必ず死ぬのです。

(死ぬ?無くなる?のは物質だけです、あなたである意識は身体を

脱いでも無くなりません)


そうですね。


ならばいつ死ぬのだろうか?と考えるのではなく

いつ死んでもいいと思えるように生きてください。

いつ死ぬ?と怖がって、死ぬこと、死ぬときのことばかり考え

不安になるよりも、死ぬときは死ぬのだからいつ死んでも後悔

しないように生きようと考えたほうがいいのではないでしょうか?


いつ死んでもいい・・それは自暴自棄的な発想ではなく、

まだしたいことはあるけど、でも例えいま死んだとしても

楽しかったからいい、やりたいことはやったからいい・・

と思えるように生きていただきたいと思います。


病気を怖がり、常に病気におびえているよりも楽しく

生きている方が病気にもなりにくくなります。

そして、病気になったとしても自分がまだ死なないと思っていれば

死なないのです。


死ぬときは自分で決めるのです。

誰かに決められるのではありません。

もういいと思った時点で自分で身体を脱ぐのです。


こんなにすごい事故に遭ったのによく生きていたね・・って

思う人もいれば、ちょっと転んだだけで死んでしまう人もいます。

それはその人が決めたのです。


とても不思議で信じられない話しかもしれませんが、波動エネルギーの

観点から考えると理解していただけると思います。

思考が先、現実はあと・・自分がもういい(この世界での体験は

これで終わります)と決めると自分で身体の機能を止めることが

出来るのです。

自分で機能を止めるというとまた訳が分からなくなると思いますが、

自分で機能を止める現実を創造するということです。

事故を起こすというのもそういうことになります。

転んで打ち所が悪かったという現実を創造したということです。

自分で病気になるということもあるのです。

すべて、思考が先、現実はあと・・なのです。


話しが逸れましたので元に戻します。

ですから、死ぬことばかりを心配するのではなく、どうやって楽しく

生きるかにフォーカスしてください。

必ず終わりがあります。

どう終わらせるか・・それを考えてください。

やりたいことが出来なかった、もっと好きなことをしておけばよかった、

と考えながら(後悔しながら)終わらせるよりも、あ~、楽しかった

って思いながら終わらせる方が良いのではないでしょうか?

後悔しながら終わらせるのもまたそれは楽しい経験だと思いますので

それを望むならばいいとは思いますが、それを望まないならば

”いま”を生きてください。


”いま”を真剣に(深刻ではありません)楽しんで生きていれば

身体を脱ぐときも楽しかったぁ~と言えるのです。

死ぬことをそんなに怖れることもなくなるのです。

”いま”を楽しく生きていないから、死ぬことに不安を感じ

生きることに執着してしまうのです。


満足すれば執着はしないのです。

なぜかと言うと執着は欲求不満から来るからです。

欲求不満があるからもっともっとと思ってしまうのです。


欲求不満からの執着があると気持ちよく身体を脱ぐことが出来なく

なってしまいます。


死ぬことにフォーカスするのではなく、死ぬ前に何をしようかなと

いうところにフォーカスしていただければと思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

(ここまで)


死と言うのは人類にとっての最大の難問であり疑問ですね。

なぜ死ぬのか?

どうして不老不死になりえないのか?

いつまでも若くいたいという欲求を叶えるために不老不死の

薬を研究したり、それをsが死も止めることを命じた王様も

いました。

しかし、誰もその問題を解決することは出来ませんでした。

それが今の人類です。


過去の大昔の記録を見ると人はかなり長く数千年くらい生きられた

時代もあったようです。


そのころには地球の気候や地球自体の地軸も今と違っていただろうし

宇宙からの放射線からの影響も少なかったと思われます。

重力も今ほどではなかったかもしれません。

あるいは波動領域が今よりはるかに軽かったかもしれません。

それとも、今の人類が創られたときにそのような年齢しか生きられない

ように操作されてしまったのか・・・。


現代医学の進歩はここ数十年で大きく発展し、次第に寿命の謎も説き

明かされるようになってきましたので、近い将来は今より長く生きる

ことが可能になるかもしれません。


しかし、それでもいつかは死ぬのです。

肉体を持って無限に生きることは不可能なことです。

それは物質自体の寿命があるからですね。


死ぬ時期を自分で決めていると言われると????でしょうね。

昨年から今年にかけて私の知人、親戚、友人などの死が相次ぎました。

今まではそのようなことがなかったので、驚いていますが、今は

そのような転換期にあるのかもしれません。


これからテラの波動が軽くなり、人類の波動も軽くなるにつれて寿命が

どのように変わって行くかはわかりませんが、少なくと今の時期は

これからの波動が軽くなる地球で生きて行くかどうかの選択をしている

のかもしれないとも思いました。


私なんかも多少の年齢を経て、こうしてアシュタールのメッセージを

聞くことで「楽しく生きる」という視点で物事を考えられるようになって

来ましたが、もし、それが若い人ならさらに幸いなことだと思います。

私以上に長い期間楽しむ時間を持てるのですから・・・。


しかし、今があるのは過去の体験があるからだともいえるので、それも

決して無駄なことではなかったと思います。


いたずらに死を恐れるのではなく、今と言う時間を大切に楽しく生きる

ことが大事なことと思います。
















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破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:リーダーはもう必要ありません・・・」 [アセンション]

破・常識あつしの歴史ドラマ「アシュタール:リーダーはもう必要ありません・・・」



(ここから)


今日の破・常識!



あなた達ひとり一人が好きなこと、楽しいこと

得意なことをして行けば、リーダーなどいなくても何も困りません。

反対に平等で自由な社会を創造することが出来るようになります。

リーダーを求めないでください。

リーダーはもう必要ありません。byアシュタール


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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。







「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

いろんなことが起きています。

不安になることもあると思います。

でも、あなたを引っ張ってくれる

力の強いリーダーを求めないでください。

もうリーダーはいりません。

これからは、数人の力のあるリーダーに導かれて行く時代ではなく

個々が自分の好きな方向へ向かって行く時代へと移行していきます。

強いリーダーを求めてしまうと、また同じことが繰り返されてしまいます。


でも、誰かがみんなの意見をまとめていかないと

収集がつかなくなってしまいませんか?

と思うかもしれませんが、それはいままでの常識などから

導きだされた考え方です。

ピラミッドシステムで培われてしまった考えかたなのです。

ひとりの強大なリーダーの力によって

民衆がまとめられ、秩序が保たれる・・

そう教え込んできたのがピラミッドシステムなのです。

そう教え込まないとピラミッドシステムが成り立たないからです。

リーダーの一声でいっせいに民衆が動く・・

それは人々を管理したいトップの人にとって

とても都合の良いことなのです。

だから、リーダーを必要とするようにミスリードしていったのです。

そのためにいまあなた達はとても苦しいことになってしまっています。

自分の望まない方向へも行かなければいけないと思い

我慢し、みんなに合わせ生きていかなければいけないのです。

まとめ役・・リーダー・・

そういう人が出て来るとそこには権力が発生します。

権力が発生すると、人々の間に階級が生まれてきます。

不平等も生まれてきます。

それが、いまのあなた達の社会の抱える

大きな問題の原因なのです。


みんなが平等であるためには、権力は必要ないのです。

でも、そうはいってもみんながバラバラに好き勝手に

行動しはじめたら何もできなくなってしまいます・・

というエネルギーが飛んできますが、そんなことはありません。

個人個人が好きにやりたいように生きていくと

みんなご機嫌さんになれます。

ご機嫌さんになれば、表現の仕方もご機嫌さんなものになります。

何を言ってるの?って思いますね(笑)


例えば、掃除・・・いまの社会では組合?町内会?の

リーダーの号令のもとみんなが同じ時間に駆り出され

イヤイヤしているというのが現状だと思います。

それでは、苦行としか感じられませんね。

でも、みんながご機嫌さんな社会だと楽しみに変わるのです。

簡単なことです。

掃除が好きな人、きれいな方がいいと思う人だけが

好きな時に掃除をすればいいのです。

掃除が好きな人はいます。

きれいな方が気持ちがいいと思う人もいます。

ならば、その人がすればいいのです。

そして、好きではない人はしなければいいのです。

そうすれば、道路はきれいにすることは出来ますね。

そして、掃除は嫌いだけど花を育てるのは好き

という人もいると思います。

ならば、掃除はしなくても道

路の脇に花を植えていけばいいのです。

そうすれば、きれいな道路が出来ますね。

掃除する人も、花を植える人も楽しんでいますので

楽しいエネルギーで満たされとても気持ちの良い道路になります。

強制されて、イヤイヤ掃除をした不機嫌なエネルギーで

満たされた道路よりも気持ちの良い

道路になるのではないでしょうか?

人それぞれに好きなことは違います。

それを尊重していけば、誰に命令されなくても

秩序は保たれるのです。

そして、みんながご機嫌さんでいれば、ケンカなどもなくなり

ケンカの仲裁をする人なども必要なくなるのです。

力の強い人がリーダーとして

人々をまとめ同じ方向へ引っ張って行かなくても、

それぞれの個人の好きなこと、得意なことを尊重し、

尊敬し、感謝しあうことが出来れば、

リーダーなどいなくても社会は十分に成り立って行くのです。

それが、ムーやじょうもんの頃の社会なのです。

ムーやじょうもんの人たちにはリーダーはいませんでした。

みんながただ好きなこと、得意なことを提供しあうだけで

楽しい社会が創造出来たのです。

みんなが平等で、平和で、秩序があって

気持ちの良い社会でしたので

長期にわたって続くことが出来たのです。

もうリーダーはいりません。

誰かの号令でいっせいに何かをするという

同じ考え方をしなければいけないという社会は限界に来ています。

それは、あなた達も感覚で分かっていると思います。

強大な力を持つリーダーはいりません。

テラの波動が変わり、

これからたくさんのことが起きて来ると思います。

でも、あなたを導いてくれるリーダーを求めないでください。

社会の問題を解決してくれるスーパーマンを探さないでください。

そんな人はいません。

誰かに頼るということは、

あなたの権利を手放すということなのです。

リーダーがいなくても大丈夫です。

あなた達ひとり一人が好きなこと、楽しいこと

得意なことをして行けば、リーダーなどいなくても何も困りません。

反対に平等で自由な社会を創造することが出来るようになります。

リーダーを求めないでください。

リーダーはもう必要ありません。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール! 


(ここまで)


これはこれから私たちが真剣に考えて行かなければならない課題だと思います。


今の政府のやり方を見ていてもわかるように、ほとんどが民意を無視してます。

そして、実現していることと言えば彼らの意に沿うものばからりで、それが

民意を反映していると言われているものです。


子育てが大変だから保育所が必要と多くの保育園が出来ましたが、本当はその

ようなものは必要ないはずです。

まず、必要なのは母親が仕事に出なくとも十分育児が出来る環境が必要なはず

です。それには十分な収入が得られるようにしなければなりません。

それが本来出来ていないから共働きになり、子ども世話ができないからと保育所

が必要になるのです。

その地域のお母さんたちが自由になり手が空けば、互いに必要な時に子供の世話

が出来るはずです。そして、子育てに必要な知識は互いに情報交換しながら共有

できるはずです。

そして、核家族ではなく、3世代同居の様な大家族に移行するようにすれば、

さらにその利便性が増えます。それは家族の中で多くのことがやりくりできるよう

になるからです。


昔は幼稚園はありましたがすべての子供が入れるほど足りてはおらず、お金に

余裕がある家庭が対象でした。そのこと自体に良い悪いの評価はあると思います

が、当時は各家庭で親が必要な子育てと躾を行なっていました。

それが出来ないのが今の状況です。

他人である保育士に任せるよりも実の母親が育てる方がはるかにいいはずです。

もちろん、いろんなひとがいるので異論があるのは承知の上ですが・・・。


また話が飛んでしまいましたが、要するに私たちの代表者の集まりである政治に

任せきりになると彼らの都合のいい方向へ持って行かれるということです。


保育所の問題点は親子とのつながりが薄められる方向に進むということです。

それは政府にしてみれば国民をコントロールしやすい方に流されるという

ことで、彼らの利便性が増すだけです。


もし、各家庭で親が子供を自由にのびのびと育てることができるようになれば

各家庭同士の交流も子供を通じて増えることになり、情報もスムーズに行き渡る

ようになります。そこには個人のプライバシーが保護されないという問題点を

指摘する人もあるかと思います。


個人情報保護法はプライバシーを守るという点に立脚したものですが、本当に

それでいいのでしょうか?


個人情報保護法が出来たおかげで災害時に必要な情報共有がしにくくなったと

いう声も聞かれます。そして、互いに疑心暗鬼になり信頼し合うという本来の

在り方が失われて行くようになったと思います。


もし、本当に相手を尊重する気持ちがあるならば他人のプライバシーなんか

覗き見ようとすることもないし、ましてやそれを誰かに公開するようなことも

なくなるはずです。


今の社会はそうした観点からすれば配慮に欠けた社会です。

たとえば、芸能人にはほとんどプライバシーなんかあってないようなものです。

不倫をすればすぐに週刊誌で暴かれ、全国から一斉に叩かれます。本来不倫と

いうのは個人の問題であって他人は関係ないものです。関係するのはその二人と

利害関係にある人たちだけです。

それがひとたび報道されると多くの人や団体からパッシングを受け、最悪の場合

仕事を失います。


一方ではパッシングをした人たちには何のお咎めもありません。

これほど不公平なことはありません。


芸能人だから有名税だと思う人もいるかもしれませんが、もし、その当事者に

有名人でもない自分が置かれたらどうするのでしょうか?

それまで秘密裏に運んでいたことがすべからく表ざたにされ、多くの人から

パッシングを受けるようなことになれば、生きて行く意欲を失うでしょう。


秘密にしなけらばならないということにも問題はあるのですが・・・。

そのこと自体が人と人との付き合いに制限があるということです。

恋愛は本来自由なはずです。


わき目もふらず一生一人の人しか愛してはいけないということがあるので

しょうか?

愛すること自体誰にも制限することは出来ず、自由なはずです。


いろいろ話は飛んでしまいましたが、誰かの指示を受けたり、命令されたり

することなく自由に生きることが当たり前とされる時代になるということです。










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