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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 行き詰まってしまった社会をまた活性化するには・・・ 」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん: 行き詰まってしまった社会をまた活性化するには・・・ 」




(ここから)


縄文人と現代の日本人の食生活がほぼ同じであることが科学的に判明

すごく長い記事なのでご興味のある方はin deepさんの記事をお読み

くださいね。

私はこの記事の中でin deepさんが書かれている・・・


今の私は、

「日本人の精神性の根幹は、縄文時代に戻ること」

だと思っています。

もちろん、縄文自体と同じスタイルの生活をするというようなことではなく、

物質至上主義ではない右脳型の文明という意味で、です。



この部分を読んで、おお~~ってなりました^0^

私たちミナミAアシュタールも縄文が大好き!!

縄文の頃のような方向へ戻る?行く?進化する?ことを目標と

しています^0^

だけど、縄文は遠すぎる(笑)生きて体験した人もいないから

話しも聞けない・・でも、縄文までは行かなくても今よりはちょっとだけ

縄文に近い社会だった昭和30、40年くらいの社会をもう一度って

思ってます。

昭和30、40年だったらその頃の事をよく知っている方もたくさん

いるから話も聞けるしね^^

ミナミAアシュタールが目指している社会ってどんなの?って思われる方は

Muu Free Club をお読みくださいね~~^0^



では、今日はさくやさんからのメッセージです。

お伝えしますね^^

「じょうもんの子たちの生活はとても豊かだったのよ。

なんか貝ばっかり食べてたイメージがあるみたいだけどね(笑)

貝ももちろん食べてたけど他にもいろいろな物を食べていたわよ。

貝塚?がたくさん見つかったから貝ばっかりって思っちゃったんだろうけど

それはまぁ、言っちゃったらゴミ置き場みたいなもので、いろいろな

物を捨てる?循環させるために作った場所だったのね。

貝の殻はなかなか分解しにくいから貝ばっかり残っちゃって

貝ばっかり食べてたのかな?って思ったのね。


そしてね、じょうもんの文化が世界の中でも特殊なものだったかって

いうことなんだけどね、方向が違うからなの。

じょうもんの子たちは物質に対してあまり執着しなかったの。

何かを作って残そうとか思わなかった。

だから、家とかなどの建物も残っていないから文明はなかった、

原始的な生活をしていたとされているけど、そんなことはなくて

とてもハイテクな生活をしていたわ。


ただ方向が他の国の人たちと違ったの。

他の国の人たちってアトランティスの文明を受け継ぐ人たちの

ことね。


アトランティスの文明とムーの文明の流れがあるってこと。

いまも昔もアトランティスの文明の流れを受け継ぐ国や人たちの方が

圧倒的に多い、だからいまの社会になってるの。

どういうことかと言うと、物質至上主義、物質が一番っていうことね。

たくさん物を作り、たくさん所有することが良いことだとされている

社会ね。

そこにはすべてを自分たちのコントロール下に置こうという考え方に

なってしまう。

テラの自然さえも自分たちでコントロールできると思ってしまう。


でも、じょうもんの子たちはそれと違う考え方をしていた。

彼らは自然をコントロールしようとするのではなく、寄り添う方向で

考えていた。

だから家などの建物も創らなかったの。

洞窟や大きな木の根のなどに住んでいた。

だから文明は存在しないと思われていたのね。


いまのあなた達の自然さえも人間のコントロール下におけると思う

文明は行き詰まって来ている。

わかるでしょ?


自然と寄り添う文明は原始的な社会じゃないの。

とても高いテクノロジーを持ってもそのような社会は創造できるの。


自然と寄り添っても豊かな生活は出来る。

反対に寄り添う方が自由に豊かに生きることが出来るの。

何でもかんでも力ずくでコントロールしようとすると必ずどこかに

ひずみが出来る。

テラが保っているバランスを崩してしまうから。


バランスが崩れると循環が出来なくなる。

循環を自分で止めて、そして自分でまた循環を起こそうとするのは

ナンセンスよね。

テラに任せておけば気持ちのいい循環は止まることなく続くのよ。

自分達で循環を起こそうとしなくても循環はしていくの。


人間が努力して頑張って自然をコントロールしようとするよりも

テラに任せておいた方がいい。

その方があなた達も楽なのよ。

そんなところにムリに力を注ぐよりも、自分達の楽しさにフォーカス

する方が豊かな生活が出来るの。


いま見ている方向と違う方向をみてみる柔軟さを持つことが出来れば

行き詰まってしまった社会をまた活性化することが出来ると思うけど。

行き詰まってしまった文明を新たな文明へと進化させることが

出来ると思うけど。


行き詰まって、先が見えないと思うならばいま話したことをちょっと

思い出してみてね。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^


(ここまで)


私たちからすると、立派な建物、立派な道具、立派な装置などを駆使して

生活を生きることが超文明的な・・・という感覚があると思いますが

じょうもんのころは違うみたいですね。

高度な科学テクノロジーと言っても、物質をコントロールしてあらゆるものを

創り出し使うというものではなく自然に寄り添った形で使うものということの

ようです。

果たして、それはどんなものなのだろうか?

と、考えているとテクノロジーを使う方向が違うようですね。

当時の気候は今の様な四季折々というようなものではなく、一年中初夏の様な

大変温暖な気候であったので、今のように暑さや寒さから身を守る住居と衣類

は必要なかったことがわかります。

そうすると、別に見つけた洞窟を住家にしたり、木の根に空いた空洞を住居に

しても十分快適に過ごせるものだったと思います。

では、そこには様々な虫とか細菌とかも存在すると思いますが、彼らは必要

ない虫さんにはそこを退いてもらい、必要な虫さんだけ居場所を確保してもらう

テクノロジーがあったのでしょう。当然、入り口にはドアがないわけですから

夜、野獣に襲われる可能性もセロではなかったと思います。

そこは意識の波動で野獣とも話が出来るわけですから、別の場所に移動して

もらうか共生することを頼んで被害のない快適な生活空間を創り上げることが

可能だったのではないかと思います。

つまり、彼らの高度なテクノロジーとは意識エネルギーを上手に使ったもの

だったと思います。

その意識エネルギーで物を動かしたり、テレポーテーションしたり、他の

動植物と会話したりと多くのことができたのでしょう。

つまり、テクノロジーの方向性が異なるということです。

自然と共生するのが彼らの高度なテクノロジーの使い道だったということですね。



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