SSブログ

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ボケません!」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:ボケません!」



(ここから)

稲垣えみ子「年をとることの一番の苦しさは…」

というコラムを読んで、いつもアシュタールが「お年寄りを労わらないでください」と

言っていることを思い出しました。


私は母を労わりません^^;・・そして、兄も母を労わりません^^;

こんなことを書くと、なんという親不孝者の兄弟なんだと思われるかもですが、

どういうふうに表現すればいいか分かりませんが、いつまでも子どもでいます。

小さい時と同じように母に甘え、母に文句を言い、母に頼っています。

もちろん体力的に無理なことは、兄がやってくれますが、生活の基本的なことは

母に任せています。(兄は母と同居しています)

だから、母は文句を言いながらとても元気です^~^

そして、母もよくお友達に言われるそうです・・○○ちゃん(兄の名前)の世話を

しなきゃいけないから、元気でいられるのよ~~、ありがたいと思わなきゃって(笑)

自分でもそう思うって言ってました^^


母を見ていると、ホント、アシュタールの言ってることが良くわかる気がします^0^

しんどい、しんどいって文句ばっかり言ってますけどね、まんざらでもなさそうで、

結構生き生きと暮らしてますよ~~^0^


では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

年齢を重ねれば、物質的な身体の変化は起きてきます。

老化と呼ばれる現象は、あなた達の集合意識の合意ですので、仕方はありません。


でも、身体が変化するだけで、精神的には何も変わらないのです。

でも、あなた達の社会は、年齢を重ねた人に子どものように接することが良いことだと

しています。


何も出来ない人・・という認識です。

体力はもちろん下がります・・だから、身体を使ったことは出来なくなることはあります。

100メートル走なら、10代の子の方が有利でしょう。

でも、体力が下がるのと、何もできなくなるのとは違います。


人は誇りを持っています。

自分で出来るという自信は、大きな誇りなのです。

でも、年を重ねるとまわりがそれをはぎ取って行く行動をします。

自分で十分出来ると思うことでも、

もう年なんだからそんなことしなくていいから、そこでゆっくり座っててちょうだい、

と言われ、それをすることすら取り上げられてしまうのです。


知識はあるので、その知識を使おうとすると、そんな知識はもう古いのよ、いまはもっと

新しい知識があるんだから黙っててちょうだい、と言われ、後進に教えることも

はぎ取られてしまいます。


おまけに、最近は年を重ねると必ずボケる・・というおかしな考え方が蔓延していて、

ちょっとでも物忘れすると、ボケたんじゃないの?と言われ不安にさせられてしまうのです。


何もしなくていい・・それはとてもツラいことです。

まわりは、それを労わることだと思っているのですが、それは本人にとっては

もう存在しなくてもいいとさえ思ってしまうほどツラいことなのです。


何もしなくていいと言われてしまうと、身体も動かなくなります。

身体は目的があるから動くのであって、目的?楽しみ?がなければ動かなくなるのです。

そして、身体が動かなくなると、介護といってもっと何もさせてもらえなくなるのです。

その上、赤ちゃん言葉で話されたらどうでしょうか?

は~い、あ~~ンしてくださ~い。お上手ですねぇ~~、今度はこれを食べましょうかぁ~~

などと言われたらどうでしょう?

いままでしっかりと生きて来たのです。

社会人として誇りを持って生きていたのです。

それなのに、赤ちゃんに話しかけるような言葉や態度で接されたら

いままで生きて来た誇りはズタズタになってしまいます。


年齢を重ねるということは、人として劣化していくのではありません。

劣化などという言葉は、とても失礼ですね。

身体が変化するのは仕方がありません・・でも人としては何も変わらないのです。


そのことをしっかりと分かってください。

たくさんの経験をしてきた方への尊敬を忘れないでください。


年を重ねればボケる(認知症)・・などというのは、商業ベースです。

そういう風潮を創れば、不安を煽ることが出来、受診者が増え、薬が売れ、介護用品が売れ

サプリも売れます。


ボケません!

まわりの人たちが、ボケる、ボケると暗示をかけてしまうからボケるような気がするのです。

そして、労わるという認識が間違ってしまって、まわりの人たちが、その方の尊厳を軽視し、

誇りを奪ってしまうようなことをしてしまうから、頭の中で自分の好きな世界をつくり

そこで遊びはじめるのです。

自分の世界だけで遊びはじめるので、まわりの人たちと話が合わなくなってしまうのです。

それを、ボケるという言葉で終わらせてしまっているのです。


ボケません!

人はやりたいこと、好きなこと、得意なことを人に提供出来ることで、誇りを感じるのです。

得意なことを提供しあった人との愛のエネルギーの交流が出来ることで、生きる喜びを

感じるのです。

だから、その喜びを感じられていれば、ボケません!


年を取ったんだから・・という一言で、必要以上に手を出さないでください。

自分達より弱い人だなんて認識を改めてください。

年を重ねることは、何もできなくなることではありません。

ただ、体力が下がるだけの話です。


もっとお話ししたいことはありますが、長くなりますので今日はこの辺にしておきたいと

思います。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう アシュタール!感謝します。


(ここまで)


もう歳なんだから無理しないで・・・・。

身体につらいから何もしなくていいから、後は私がやるから・・・。

ただ座ってテレビ見てるだけでいいから・・・。


と、多くの人が老人を労わっていると思っていますが、その実は楽しみを奪っている

ということに気づけないんですね。

代わってやって上げることがやさしさだと教え込まれてきた弊害だろうと思います。

何もしないこと、ただ楽なこと、気楽でいられることがいちばんだと思い込んで

しまっているので、身体に負担になることは一切させない人もいます。

しかし、そのようにして何もしないでいればどうしても筋力の衰えが加速していく

ので、最後には歩けなくなってしまいます。

何かしていれば筋力はそれほど衰えないのでいつまでも元気でいられます。

結局は年老いていく親を見て、その光景をまざまざと自分の脳裏に焼き付けていくので

自分も同じ運命をたどってしまいます。

老化はある意味集合意識のもたらす遺伝子の変化です。

もし、人類全体が衰えないというイメージさえ持てれば少しは寿命が延びるだろうと

思います。現に今の60代の人は50年前の50代と同じくらいの若さです。

もしかしたら、本当に気持ちの持ち方なのかもしれません。


5次元になり波動が軽くなってくると長生きする人が徐々に増えてきて、100歳でも

健康でいられるという事が当たり前のように受け止められる時代になると思います。

そうなると、70でリタイアするのも早すぎるので80歳定年ということになるかも・・・。

政府がそのうち80まで働きなさいと言い出すかもしれません。

もっとも今の政府は年金を払う費用を出来るだけ減らしたいというのが本音ですが。

それはそうと生活保護費13%ダウンと言うニュースがありましたが、そんなことよりも

日本人でない人に生活保護払い過ぎなんじゃないかと思いますが・・・。

日本人より多くもらっているという話ですからね。

それを抑制するだけで全体の生活保護費はかなり減るので、支払額を減らさななくとも

良くなるのではないでしょうか?








nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。